堕天王の逝く道

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zoom RSS 空白ノ翼第七章『覚醒予兆』 第六話『たった一人の肉親だから』

<<   作成日時 : 2013/07/08 09:55   >>

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空白ノ翼は、私こと堕天王が描く、長編現代ファンタジーです。
本編は、前の話を読まなくても分かるように努力して書いているため、やや説明過多な所が見受けられるかもしれません。下記の『空白ノ翼の説明書』をご覧になると、もう少し分かりやすくなるかと思います。

空白ノ翼については、
空白ノ翼の説明書
をご覧ください。

第七章の第六話、最終話です。
第五話で失敗に終わってしまった、晃との面会。晃と櫻は、どうなってしまうのか? というお話を主軸に、橘家全体のキャラクターを掘り下げています。今回、語られる事のなかった椿の父親についてや、出番がほとんどなかった椿の母親なんかも、掘り下げています。


空白ノ翼第七章『覚醒予兆』
第一話『沙夜の友達』
第二話『覚醒予兆前編』 その1 その2
第三話『覚醒予兆後編』 その1 その2
第四話『由紀子は雪子だけど、由紀子が茜だった?』
第五話『トラウマスイッチ』 その1 その2

関連が深い話は、そのまんま第七章の第二話〜第五話です。これで第七章が、ようやっと終わりました。

では、本編です。


   第六話『たった一人の肉親だから』



 お盆も終わり、神山(かみやま)聡(さとし)は自転車に跨(またが)り出社していた。すると、進行方向に棒を持った警備員が二人立っており、聡に向かって『こっちは通れません』と棒を交差したり、広げたりして訴えて来た。
「おっとっと……なんか、事故ですか?」
「テレビ見ませんでしたか? この先、不発弾が爆発したせいで、道路に穴が開いていて。改修作業中なんですよ。迂回してください」
 警備員の人は、聡の問いに快く答えてくれた。お盆の日にここを車で通った際も、同じことを言われたことを、聡はようやく思い出す。
「あっ、そうでしたね。まだ直らないんですか?」
「一応、今日中には何とかなると思いますよ」
「そうですか。お疲れさんです」
 聡は頭を下げる。それから道路を渡り、細道へと向かった。その時、遠くに二人の少女が立っているのが見えた。陽炎で景色が揺らいでいるため、見間違いかと思った。しかし二人の少女は、確かに立ち入り禁止の場所に立っていた。不思議に思いながらも、『子供のすることだからな』と聡は思いつつ、細道へと入っていった。

 その件(くだん)の少女二人。一人は、黒い髪を背中の中ほどまで伸ばした、十代の半ばぐらいの少女。もう一人は、髪をツインテールにしている、十代前半ほどの少し幼い印象の少女。二人は、じっと回収作業をしている作業員の姿を見つめていた。
「暑いのにご苦労さんだね」
 辟易とした表情で少し幼い印象の少女が呟く。しかし、もう一人の少女はそれに答えず、先程聡が抜けていった細道へと視線を向けていた。
「変な気配」
「……ん? 誰もいないよ?」
 幼い印象の少女が視線を追いかける。
「この町は、変な力に満ち満ちている。思った以上に面倒臭そうね」
「でも、私たちの目的はシンプル。赤き瞳の後継者が存在するのであれば、それを抹殺する」
「抹殺だけじゃなく、そのシステムも完全に破壊しなければならないのよ。なんでも、簡略化しないで。それに、藤堂晃(あきら)の監視および勧誘、他にも細かな用事は多い」
「そうだっけ? とりあえず、ここのデータは取ったから、コンビニ行こうよ。アイス食べたい。久しぶりの現世だもん。俗世にどっぷり浸りたい!」
 十代半ばぐらいの少女は、溜息を一つ零すと、右手を差し出した。
「双葉、くれぐれも自重してくださいね」
「はいはい。じゃ、お願いね」
 双葉と呼ばれた幼い少女が、差し出された右手に触れた瞬間、二人の姿はぱっと消え失せた。

 8月17日 11時過ぎ
 藤堂晃と藤堂櫻(さくら)の面会は、失敗に終わってしまった。櫻は部屋に戻り、勝彦(かつひこ)も自室へと戻って来ていた。頭を抱え、大きな溜息を一つ。これからどうしたものか? そう悩んでいる時である、突然携帯電話が着信音を奏でた。電話の相手は非通知。訝(いぶか)しく思いつつも、勝彦は電話に出た。
「はい」
『もしもし、勝彦さんですか?』
 男の声だ。どこかで聞いたことがあるような――そう思ったが、思い出せない。
「そうだが」
『お久しぶりです。沢村俊之(としゆき)です』
 その名を聞いて、勝彦はすぐにピンと来た。
「俊之君か! 久しいなぁ」
 沢村俊之。三日前に勝彦の前に姿を現したインビシブルが所属している組織、遺跡管理集団ユグドラシルの首領である。
『ご無沙汰しております。いつも、遙(はるか)がお世話になっております』
 和やかなムードだったのはここまで。勝彦はすっと表情を引き締めた。
「君が電話をかけて来たということは、例の件の事なんだろう?」
 例の件。藤堂晃の所属の問題である。藤堂晃は、鬼神会でロストテクノロジーを流用した人体実験を施行されており、本来ならば彼自身がロストテクノロジーに認定されてしまう。先に姿を現したインビシブルは、この事を大きく問題にはしなかったが、その上司である俊之はどうなのか。
『はい、橘家で保護された藤堂晃の事についてです』
「彼の身柄をそちらに渡す気はないぞ」
『重々承知しています。安心してください。私は、藤堂晃の所有を主張したりはしません。彼の親族が橘家にいる以上、なおさらのことです。今回の件は、それとは別物です』
 勝彦はこの時、小さなことに気付いた。俊之が、『私は』と言った事である。組織の中では、違う考えを持っているものがいる、そういう事なのかもしれない。
『一つ、お願いがあるのです』
「お願い?」
『はい。私の部下をそちらに派遣させてほしいのです。藤堂晃のデータを解析することで、鬼神会の技術力を推測する事が出来ます。それと同時に、彼が現在どのような状態で、どのような問題があり、将来的にどのような事に気を付けたらいいのか、その辺りの事をそちらに開示することが出来ます』
「それは助かるな。ロストテクノロジー関連は、さすがに私の知り合いでも分からない事が多い。それに、深く研究させることで君たちのターゲットになるのも困る。そちらから人を派遣してくれるというのであれば、そういう煩雑な問題を考えなくていい。しかし、こちらは何も見返しを掲示できないぞ?」
『これはお願いですから。それに、三十年前私たちを助けてくれたことに比べれば、本当に小さなことです』
「……私は、結局何も出来なかったがな」
『そんな事はありません。そんな勝彦さんにお願いばかりする形となってしまうのが心苦しいのですが、もう一つだけ、お願いをしても宜しいでしょうか?』
「気を遣う事はない。私に出来る事であれば、力を貸すぞ」
『今回派遣するのは、高宮姫子とその姫子の専属医であるユヴァイラです。姫子は、重度の霊障を患っていまして。その事と、組織の性質的な問題で、ほとんど外出をしたことがないのです。彼女を少しの間そちらで見てはもらえませんか? 何も、彼女には子供らしい事をさせていないのです。あ、ユヴァイラの方は放っておいて構いません。彼女は、もういい大人なので』
「その子は、年はいくつになるのだ?」
『十三になります。重度の霊障をこちら側で治療したのですが、なんとか二十歳まで生きられるかどうか、その程度までしか出来ませんでした』
「……そうか。分かった、引き受けよう。部屋ならいくらでもある。それに、こちらの孫娘も同じぐらいの年だ。いい刺激になるだろう」
『ありがとうございます! 二十四日にそちらに到着する予定にしています』
「あぁ、分かった」
『最後に、遙は元気でやっていますか?』
「息災である。君とエリスさんに似らず、とても活発な子だ」
『遙は、私たちに似ない子になりましたから』
 電話の向こうで苦笑しているのが伝わる。
『では、勝彦さんもお元気で』
「そちらも息災でな」
 電話が切れる。勝彦は、ほっとしていた。一つ、面倒な事案が片付きそうだからだ。しかし、全く先が見えない事案が存在するのも確か。櫻と晃の問題である。櫻の親類になる神代家は、本気で櫻を引き取るつもりでいる。十年前とは状況が違う。櫻が望めば、それを拒むことができない。
 二人のためには、距離を置いた方が良いのか。それとも、このままの方が良いのか。勝彦は、答えの出ない問題に頭を悩ませていた。

 8月18日 6時
 椿は、部屋でぼんやりとしていた。櫻と晃の面会が失敗に終わって、一日が経過した。櫻は部屋にこもったまま。こちらの声掛けにも全く応答しない、という状況に。祖父の勝彦は、午前中は引き籠っていたが、午後からは事後処理で外に出て、夜遅く帰って来ていた。水及(みなの)はよく分からない。優雅に居間でお茶を啜っているかと思ったら、夕方は再放送のアニメを真剣な表情で見ていた。最早、何のためにいるのか分からない。家事は、幸い職場復帰した乎沢(やつや)が一手に担ってくれていたおかげで、食事も店屋物にならずには済んでいた。ただ、夕食の時にも櫻は姿を出さなかった。
 気分が晴れないため、道場で体を動かそうと思い、とりあえず道場へと足を運んだ。途中、廊下を掃除していた乎沢と会い、挨拶をする。驚く程まめに仕事をする人である。
 道場の近くまで来ると、風切り音が聞こえた。不思議に思いつつ道場の中を伺うと、そこには一日引き籠っていた櫻の姿があった。無心で木刀を振り続けているが、いつものような激しさもキレもない。その様は、櫻の迷いそのものであった。
 椿は、そんな櫻を見て居ても立っても居られなくなった。
「櫻、勝負をしましょう」
 壁にかけてあった木刀を手に取る。突然現れた椿に櫻は驚いていた。そんな櫻に、椿は苦笑してみせる。
「そもそも、私は馬鹿なんです。難しい事はよく分からない。だけど、こういう事は得意なのです。不満や憤りをぶつける所がないのであれば、私に打ち込みなさい」
 櫻は俯いていた。その視線は、木刀に注がれている。蝉の声が道場に響く。少しの間を置いて、櫻は口を開いた。
「……お願いします」
 それは、今にも消えそうなか細い声だった。
 櫻との打ち合いが始まる。元々椿と櫻では、武器が違う。椿は薙刀を使い、櫻は刀。今は、椿も櫻も木刀を使っている。普段なら、椿と櫻が剣術を競った場合、五本中三本は櫻に取られる。しかし、迷いの中にある櫻では、椿から一本も取れないでいた。
「この程度ですか? 今の櫻相手なら、負ける気がしませんね」
 その言葉が、櫻の逆鱗(げきりん)に触れた。椿によって飛ばされた木刀を拾った櫻は、ゆらりと、本当にゆっくりとした動作で構えを取った。その瞬間、椿は空気の変化を敏感に感じ取った。
「椿姉さま、もう少しお付き合い下さい」
 櫻の踏み込みの速度が鋭くなった。しかし、それでも元気だった頃の櫻に比べればまだ遅い。椿でも対応できる速さだ。
「まだまだ遅い!」
 横凪の一振りを流し、足払い。櫻が勢い余って盛大に転がっていく。
「それに足元も泳いでいますよ」
「そんな余裕、いつまでも続きませんよ」
「口だけなら何とでも言えるわね」
 櫻の踏み込み。今度は低くて、速い。対応しにくい踏み込み。椿は上段から真っ向勝負を仕掛ける。以前の櫻なら、上段から挑もうものなら、木刀を振り下ろす前に腹を叩かれていた。お互い霊力を持っており、体にある程度の霊力のフィールドが張ってあるとはいえ、櫻の一撃をまともに受けたら食事を受け付けなくなるほどだった。
 椿と櫻の打ち合い。五戦を超え、十戦を越え、十五戦を越え――。限界なんてないかのように、ただただ木刀をぶつけ合う。そんな中椿は笑っていた。櫻も、徐々に表情を明るくさせていった。
 音を聞きつけた勝彦が、道場にやってくる。そこで、剣術とは程遠いレベルでただただじゃれ合う二人を目の当たりにする。
「何をやっているのだ、お前たちは」
 勝彦は、その戦いを見つめ続けた。三十四戦目。椿が櫻の上段から繰り出した一撃を受け止めきれずに転がった。大の字になる椿。
「はぁ……もうダメ」
 櫻もその場に膝を付き、木刀を杖代わりにする。そこで勝彦は道場の中に踏み込んだ。
「いい運動になったか?」
「おじい様……!」
 椿が目を丸くする。櫻は、息が切れ切れで言葉を紡げない。ただ、その瞳は動揺に揺れていた。
「人は、何故迷うのだと思う?」
 勝彦は、穏やかに切り出す。
「本当の願いを、理由をつけてごまかしているからだ。椿、お前のお父さん、一哉(かずや)を私は見殺しにした」
「……えっ?」
「一哉は、生まれた時から呪われた存在だった。『赤不浄』と呼ばれる橘家の呪いがある。赤は、人の血液の色を指す。生まれる前から無数の怨念に憑りつかれ、生まれる時、実の母の腹を突き破って生まれてきた。血液に塗れた、悪魔の子。それが、お前の父、橘一哉だ」
 話の意図が分からず、椿は目を白黒させる。櫻は、じっと耳を傾ける。勝彦は、とても悲しい目をして語っていた。
「生まれた時に一哉は、さらに私の仲間も殺した。水及様は、すぐさま一哉を取り上げ、離れに隔離した。それはそうだ。私は、あの時一哉を殺すつもりだったのだからな。水及様の庇護下にある一哉を、どうやって殺すか。実の息子を殺す事ばかり私は考えていた。毎日、毎日。それから時を経て、一哉を殺す千載一遇のチャンスが訪れた。私は、尼崎(あまがさき)家の長女である紅(あか)と手を組み、紅は自分の弟殺しを、私は自分の息子殺しを画策した。だが、失敗した。一哉は、五十鈴(いすず)と直久を味方に付け、外を自由気ままに歩くようになった。私は、そんな一哉を受け入れられなかった。家を飛び出し、気の赴くままに戦い続けた。全てを忘れようと思った。そうやって長い間、私は旅を続け、最後にある人に出会った。その人に私は教えられた。私自身が、迷い続けている事を」
 勝彦は両手を広げ、両の手をかぎ爪のように固定する。何か、零れ落ちていくものを掴もうとしているかのような、そんな姿であった。
「迷っていたのだよ。本当の願いは、たったの一つだけだった。それを誤魔化して誤魔化して、それが迷いの全て。本当の願いを受け入れる事が出来たならば、私は迷ったりはしなかったのだ」
 ぐっと両の手を閉じる。
「一哉を愛したかった」
 その言葉の重みは、椿と櫻の心を打った。
「しかし、慌てて家に戻った私を待っていたのは、先程息を引き取ったと語る五十鈴と、穏やかな表情で眠る一哉だった」
 勝彦はそこで櫻の方に視線を向けた。
「櫻。自分のやりたいことをしなさい。お前は、私や椿と違って、恐ろしく聡明だ」
 椿が、『ん?』と顔をしていた。勝彦の言葉が、遠回しに『お前はお馬鹿だ』と言っている事に気付いたからであろう。
「橘家一丸となって、櫻をサポートする。だから、何も心配しなくていい」
「私のやりたいこと……私の……本当の望み……?」
 櫻は立ち上がり、勝彦がしていたように両の手を広げて見下ろす。そんな櫻を見守る椿。そうしていると――。
「まったく朝から何をしているのだ」
 道場の入り口に、今度は水及が姿を現した。
「椿と櫻は、とっととお風呂に入ってこい。風呂に入ったら、乎沢が朝食を準備している。すぐに行動に移せ!」
「は、はい!」
 慌てて立ち上がった椿は、櫻を引っ張って道場を慌ただしく後にする。そんな二人を優しく微笑みながら見送る水及。見送った後、今度は勝彦の方へと顔を向けた。
「一哉の事を話したのだな」
「聞いておられましたか」
 勝彦は苦笑する。
「良い例え話がなかったもので。いつかは話さなければならないとも思っていましたし。しかし、少しばかり時と場所を間違えた感がしております。椿には、改めて話さなければならないですね」
「勝彦、頭を下げてこちらに向けろ」
 水及の言葉の真意が分からず、勝彦は不思議そうな顔。言われた通りに、水及に対してお辞儀をするように頭を垂れた。すると、水及はその垂れた頭を右の拳で激しく一発叩いた。
「ぬ、ぬおっ!」
 勝彦が頭を抱えて悶絶する。
「な、なにをなさるのですか!」
 水及は、真剣な眼差し。
「この私を蔑ろにした罰だ。お前は、やはり馬鹿だ。少しは反省しろ、馬鹿」
 水及は、一転して不機嫌な様子で勝彦に背を向け、道場を出て行く。勝彦は頭を擦りつつ、少しばかり考えを巡らせた。
「……そう言えば、家出をした真意を話したのは、これが初めてだったか」
 今更ながらその事に気づき、勝彦もばつの悪い顔をした。

 椿と一緒に風呂に入り、朝食を食べた後、櫻は氷女沙夜の家を訪れていた。古い木造建築の沙夜の家。厳密に言えば、沙夜の祖母の家。畳の部屋に、丸テーブルが真ん中に一つ。そのテーブルを挟むようにして、櫻と沙夜は向かい合っていた。
「そんなことが、あったんですね」
 沙夜が、ぽつりと零す。櫻は、沙夜に兄の事について粗方話をした。ただ、勝彦の話は割愛した。他人に話すような内容ではないからだ。
「ちょっと羨ましいかも」
 沙夜が、寂しげに笑う。そして、途端に慌てる。
「あっ、ごめんなさい! その、羨ましいとか、櫻さん、大変なのに……」
 櫻は、静かに首を横に振る。
「私も、驚いている。ずっと、見ないようにしていた。ずっと、殻に閉じこもっていた。気付かない振りをしていた。こんなにも、世界が優しいなんてこと、私は知りたくはなかった。でも、知って良かった。橘家に拾われて、本当に良かった」
 それから櫻は、まっすぐに沙夜を見た。
「沙夜、私はね、あなたの味方であり続けるから。こんな事で慰めになるとは思わないけど、沙夜は一人じゃないという事、それだけは忘れないで」
「そんなこと言われると、泣いちゃいますよ」
 沙夜は今にも泣きそうな顔で答える。
「櫻さん、約束してください」
「約束?」
「私に、お兄さんを紹介してください。私も、櫻さんのお兄さんとお話がしたいです」
 驚いていた櫻であるが、すぐに沙夜の気持ちを汲む。
「分かった。約束する。ただ、惚れないでよ。折角再会したのに、他人に取られるなんて正直御免だから」
「惚れません! もう何を言っているんですか」
 沙夜と櫻の笑い声が、優しく広がっていく。

 同日 18時
 櫻は、勝彦、水及、椿を伴って、再び晃の居る地下の座敷牢へと赴いた。先頭の勝彦が、先に晃の牢の前に立ち、木枠を叩く。中にいる晃に知らせているのだ。晃が見えない場所。櫻はそこに立ち、胸の辺りで両の手を合わせている。緊張のため、その両の手は震えていた。
「櫻、大丈夫か?」
「はい」
 勝彦の言葉に短くそう返事をした後、櫻は目を瞑った。
「兄さん、聞こえますか? 櫻です」
 場所を動かず、櫻は晃に声をかける。櫻が選んだ方法。姿を見てしまうとどうしてもトラウマのため、恐怖が先行してしまう。ならば、『姿を見なければいい』という、単純な方法だった。
「聞こえている」
 晃の声が返ってきた。櫻の体が僅かに震える。
「ごめんなさい。まだ、兄さんの姿をまともに見る事が出来ないのです」
「それは仕方がない。僕は、殺人鬼だ」
「……違います。兄さんは、殺人鬼じゃありません。私の、たった一人だけの兄さんです」
 櫻の中での乖離(かいり)。兄を復讐するための存在と定義し、恨み続けた。櫻は、その定義を今覆した。
「今の私では、ここから語りかけるのが精一杯だけど、兄さんにどうしても伝えたいことが二つあります。一つ目は、私は兄さんの事を恨んでいません。恨んではいけなかったんです。恨むべく敵は、たった一つ。鬼神皇、あのクソ鬼だけです」
 櫻は両の腕を重ねたまま額に付ける。神に祈るような姿であるが、そこで願われているのは鬼神皇の死と言う、暗くて重たい願いである。
「もう一つは……」
 櫻は、顔を上げる。その表情は、複雑なもの。しかし彼女は迷わない。自分の本当の願いを、もう知っているから。
「兄さん、おかえりなさい」
 少しばかりの余韻を挟む。晃は何も答えなかった。勝彦が、目配せをする。それは、『もう戻りなさい』という合図であった。櫻は頷き、椿と共に座敷牢を出て行く。
 牢の中。晃は両手で顔を覆い、震えていた。水及は、勝彦の傍に行き、その勝彦の肩に右手を乗せる。
「よく我慢したな」
 言葉は、晃に向けられていた。
「僕は……僕は……」
 何度も繰り返す度に、嗚咽が混じっていく。言葉にならない思い。溢れる感情が、体を震わせる。
 勝彦はそんな晃の近くへと歩いて行く。膝を折り、晃の顔を覗き込むようにする。
「晃君、これからの話をしよう」
「これから……?」
 晃は、両手を顔から離し、勝彦の方へと視線を向けた。優しい勝彦の表情が、晃の心を癒す。
「そうだ。これからの話だ。時間はある。ゆっくりと、考えよう。私も一緒に考えるから」
「何か作って来るよ。腹が空いては、まともな事も思い浮かぶまい」
 水及の表情も、とても柔らかいものであった。

 8月19日 午前9時
「どうしてそういう話になるんですか?!」
 椿の声が、響き渡った。
 いつも話し合いの時に使っている大広間ではなく、居間でお茶を飲みながら藤堂晃の今後についての話が、勝彦からされた。参加しているのは、椿と櫻、それと水及。昨日、晃と話し合い、その結果晃はこのまま橘家に保護されることとなった。
 藤堂晃の処遇は、以下の通り。
 橘家の居候となり、部屋は母屋ではなく離れで、五十鈴と共に住むこと。
 橘家に居候していられる期間は、無期限。とりあえず、一年経過してから再評価。
 橘家では、二つの事に従事する。
 一つは、定期的な検査。晃の体については分からない事が多いからだ。
 もう一つは、除霊士として除霊屋の仕事をこなす事。
 晃の担当は、当面椿がする。
 基本、他の時間は自由に過ごしていいが、外出のみ制限する。しばらくは椿が同伴すること。
 椿が反応したのは、これの後である。
 晃との連絡役も、椿がこなす。それはつまり、離れにいる五十鈴と接触するという事。椿は、自分の母親である五十鈴の事を毛嫌いしており、もう何年もまともに話をしていない。そのため、勝彦がそう口にした瞬間、激しく反応した。
「椿、私はお前と五十鈴も、可能ならば……」
 いつになく激しい椿に、勝彦もタジタジである。
「絶対にありえません! 私は、あの人の事を絶対に許さない!」
「しかし……」
「大体、筋が通っていません! 勝手に全部投げ捨てて家を出て行って引き籠った人に、どうしてこちらから顔色を窺いに行かないといけないんですか! 先にごめんなさいをするのは、向こうのほうでしょう?! 違いますか、お爺様!」
「う……むぅ……」
 それを言われると、勝彦もぐうの音も出ない。
「晃君を担当する事は問題ありません。しかし、あの人と顔を会わせるのは絶対に絶対に、ぜーーーーったいにお断りです!」
 椿は勢いよく立ち上がると、畳をどかんと踏みつけてから部屋を出て行った。オタオタと慌てる櫻。
「椿に付いてあげなさい」
 水及に促され、櫻も椿を追いかけて部屋を出ていった。困った顔をしている勝彦とは対照的に、水及はどこか楽しそうにしている。それに気づいた勝彦は、不服そうにする。
「水及様、楽しんでおられる場合では……」
「何を言う。これがあるべき姿であろう」
 水及は、鼻で笑う。
「椿の言う事はもっともだ。その『もっともなこと』を、お前に言い返す事が出来るようになったのだ。これを評価せずに何を評価する。勝彦、お前の気持ちは分かるが、今回ばかりは気を急き過ぎた。櫻と晃、椿と五十鈴、これらの問題の根幹は同じではない。同じように解決は出来ん。晃との連絡役は私が請け負うよ。焦る必要はない。そうであろう?」
 勝彦は、それもそうだな、と肩の力を抜いた。

 飛び出して行った椿を追いかけて、櫻は道場へとやって来ていた。椿は、ほぼ道場の中央に立って、文字通りの地団駄を踏んでいる。最初、そんな椿が怖くて、入り口から体半分だけを出して、様子を窺っていた櫻であったが、意を決して話しかける。
「椿姉さま……」
「櫻」
 椿は、大きな溜息をつき、前髪をかき上げる。
「ごめんなさい。嫌な思いをしたでしょ?」
「私はいいんです。ただ……」
「櫻に、晃君との事で偉そうな事を言った後なんだけど、私はどうしてもあの人を受け入れる気にはなれない。だって、兄さんが死んでしまって辛かったのは、私だって同じだったのに。私は、あの人の恨みまで押し付けられたのよ!」
 椿は、自分の胸倉を強く掴んでいた。その本当の意味、それを櫻が知るのはもっと先の事である。
「櫻にあたってどうするのよ、私。ごめんね」
「椿姉さま、またしませんか?」
 櫻は壁にかけてある木刀を指さした。
「……そうね。付き合ってくれる?」
「はい」
 櫻は、椿の憂さ晴らしに付き合う事にした。

 同日 午前10時頃
 座敷牢を出た晃は、水及、勝彦、荷物持ちの乎沢を伴って、橘家の離れへとやって来ていた。これからお世話になる、新たなる生活の拠点を晃は、静かに見上げていた。
「こんにちは」
 五十鈴が玄関から姿を現す。異様に線が細く、髪には白髪が混ざる五十鈴は、か細く微笑む。晃と五十鈴は、事前に昨日の夜面会をしている。その時は夜で、白熱灯に照らされて、ただ青白く見えているだけと思っていた。そうではない事を知って、晃は五十鈴を直視できなかった。
「よろしくお願いします」
 視線を避けてしまう事を悟られないように、深々と頭を下げた。
「私は、あなたには何もしてあげられない。ちょっとお話の相手になるだけよ。だから、私に『お願いします』はいらないわ」
「乎沢、晃君を部屋に通してあげなさい。私は、五十鈴と話をすることがあるから」
「かしこまりました。さぁ、晃様、こちらへどうぞ」
 乎沢が晃を伴って離れに入っていく。五十鈴は、その背中を静かに見送った。
「勝彦、ここは任せたぞ」
「水及様?」
 水及も一緒についてくるとばかり思っていた勝彦は、不思議そうな顔をする。
「お前の代わりに、事後処理を請け負う。座敷牢の整理もあるしな。五十鈴としっかりと話すといい」
 水及は、二人を置いて母屋へと帰って行った。
 勝彦と五十鈴は、五十鈴が普段使っている部屋へ。殺風景な畳の部屋。座卓が一つだけ上座に置いてあるのみ。その座卓には、ノートやら半紙やら、様々な紙が広がっている。五十鈴は座卓に向かい、座卓を挟んで勝彦が座る。
 勝彦は、五十鈴に今朝の椿の事を話した。それを聞いて、五十鈴は自嘲していた。
「そんなことを、あの子は言っていましたか……」
「私は今でも、母屋に戻ってきてほしいと思っている」
 昨夜、勝彦は今のように五十鈴と話をした。五十鈴に母屋の方に戻って欲しい――と。しかし、五十鈴はかたくなに拒否した。『とてもそんな勇気がない』、そう言って。結局勝彦は、藤堂晃の世話を託すという妥協案を提示し、五十鈴が渋々それを請負った、そういう形に落ち着いた。
「しかし、水及様に言われてしまった。今回ばかりは気を急き過ぎた、と。確かにそうだ。櫻と晃の件に一段落付き、私は年甲斐もなく浮かれていたのだろう。お前の事を十年近くも放置した。それが一朝一夕に解決できるなど、確かに自惚れである」
「お父様、それは違います」
 五十鈴の『お父様』という響きに、勝彦は驚いた。当主や勝彦様、と呼ぶ事はあっても、『お父様』と呼ばれた事は、ここ十年なかったからだ。
「私と椿の問題は、私の問題なんです。私の弱さが、あの子を傷付けた。でも、私は椿がどうして私に対して、それほど暗い気持ちを抱いているのかが、理解できないんです。理解、できないんですよ。だから、私はきっと『ごめんなさい』と言っても、椿を怒らせてしまう。だって、私は椿の何に対して『ごめんなさい』をしたらいいのか、分からない。私は、自分が壊れてしまっている事を、自覚しているんです」
 勝彦は言葉を失う。五十鈴が抱えている問題。それが、ここまで深刻な状態であったことに、今の今まで気づけていなかった。そのショックが、勝彦の言葉を封じていた。
「お父様、私は晃君と一緒に暮らす事で、少しは直るのでしょうか? そんなことに、期待しても宜しいのでしょうか?」
「二人にとって、リハビリになると思って提案した」
「請負います。私は、私自身を見つめ直したい。そして、椿にちゃんと謝りたい」
 五十鈴の表情に少し明るさが宿った。

 午前11時頃。
 連絡を受けて、神代奨が橘家へとやって来た。晃と櫻は一緒に居られないため、奨は最初に晃と面談することに。
「あぁ、良かった……」
 奨は、晃を強く抱きしめた。
「これで少しは、夏也たちも安心できる」
 夏也とは、晃の父親の名前である。
「何かあったら、僕の所に連絡をしなさい。僕は、君の味方だ」
 晃は、戸惑いながらも『はい』と素直に返事をした。
 奨はその後、櫻と面談する。
「私は、ここに残る事にしました」
 櫻からきっぱりとそう言われる。
「……そっか。残念だけど、仕方ないね」
「ごめんなさい」
「櫻ちゃんが謝る事ではないよ。二人がちゃんと顔を合わせられるようになったら、ウチの家に遊びに来なさい」
 櫻は、橘家の家で晃と向き合う事を選んだ。それは過酷な道である。しかし、奨はそれほど心配はしていなかった。
「やっぱり櫻ちゃんは、夏也の子供だね。そういうまっすぐな所は、夏也にそっくりだ」
「お父さんに?」
「そうだよ。夏也は、優秀だった。ダメな兄貴とは違ってね。それでも夏也は、好きな人と一緒に居る道を選んだんだ。今の櫻ちゃんのように、決して楽な道へと逃げなかった。そういう所が、本当に夏也にそっくりだ」
 櫻は照れくさそうに笑う。その後、奨は一時間ほど櫻と話をして、帰って行った。

 正午頃。
 櫻が面会に行ってしまったので、椿は境内の掃除をしていた。かんかんと照りつける太陽にうんざりとしながら、境内と階段の掃除。階段の方は、ボロボロになっている。ある程度大きな欠片は拾ったが、階段自体の修復は、椿にはどうしようも出来ない。後で業者に頼むしかない。
「しかし、物凄いですね」
 勝彦と鬼神皇の戦いが、ここで行われていた。椿の手が届かない、達人同士の戦い。その名残を見て、椿は身震いをしていた。そうしていると、携帯電話が音を奏でた。ディスプレイには、『由紀子』と表示されてある。
「はい。どうしました、由紀子さん」
『あ、椿さん。今、電話大丈夫?』
「はい、大丈夫ですよ」
『明日からの旅行の準備、出来ている? まだなら、買い物に付き合って欲しいんだけど』
「えっ?」
『ん? 明日からの旅行。椿さんも行くって、言っていたよね? あっ、仕事でも入った?』
「い、いえ。あっ、ちょっとゴタゴタとあったもので。当主にもう一度確認するから、また後で電話します」
『うん、分かった。じゃ、またね』
 通話終了。椿は携帯電話を両手に持ち、震えていた。完全に忘れていたのだ。
 椿の同級生であった虹野(こうの)夏樹。彼女の母親の妹が、大島と呼ばれる島の海岸で、旅館と海の家、二つを経営している。その手伝いをするため、夏に虹野家は大島へと出かけるのであるが、今年は、夏樹が皆で行きたい、と言い出した。そのため、由紀子や椿たちに声がかかり、本来は七月の下旬から八月の上旬辺りで、行くことになっていた。しかし、夏樹が事故に遭い、中止。その後、夏樹の状態が改善したことから、夏樹を励ます意味でも、旅行に行こうとなっていた。
 どうしたものか。そう考えあぐねていると――。
「椿姉さま」
 櫻が、伯父の奨を連れてやってきた。椿は、頭を下げた。
「この暑い中、掃除なんて、椿ちゃんは真面目だね」
「いいえ、そんなことは」
 椿は照れくさそうに笑う。
「櫻の事をまた頼みます。じゃ、ここまででいいから。また来るね」
 奨は、椿と櫻に手を振って、階段を下りていった。
「良かった。櫻、ここに残ってくれるのね」
「ここでやりたいことがありますから」
 櫻の表情は、どこか吹っ切れた印象だった。
「あっ、そう言えば! 櫻、明日の旅行の事、覚えていて?」
「えっ? ……あっ!」
 櫻も、旅行に行くメンバーに入っていたのであるが、彼女も完全に忘れていたようである。
「明日……でした?」
「今、由紀子さんから電話があって」
 二人で顔を見合わせていると――。
「お前たち、御飯だぞ」
 エプロン姿の水及が、そう声をかけて来た。

 居間に移動すると、すでに勝彦が座っていた。テーブルの真ん中には、素麺を淹れたガラスの器がドンッと置かれてある。椿はそのまま、勝彦の近くで正座をした。櫻もその後ろで正座をする。
「おじい様」
「ん? 改めてどうした?」
 麦茶を飲む手を休めて、勝彦が訪ねてくる。
「以前、一度許可を得ていた、友達との旅行の件なのですが……」
「あぁ、そんな話をしていたな」
「明日だったんです」
 勝彦は、一端動きを止めた。それから、声をあげて笑いだす。
「そうか、明日だったのか。良い、行ってくるといい」
「旅行か。勝彦、折角だから私たちも行くか」
 水及が、素麺のつゆを片手に台所から戻ってくる。
「ようやく一段落付いた所だ。私もいい加減休みたい」
 うんざりとした顔の水及。
「そうだな。明日から、少し橘家は休暇を取るか」
 勝彦は、あっさりとそう言い放った。こうして、急遽旅行に行くことが決まった。

 旅行の話を、勝彦は離れの五十鈴の元へと持ち込んだ。
「明日から? 海へ? 嫌です」
 五十鈴は、あっさりと断った。
「行くのだ、五十鈴!」
 結局、勝彦に押し切られる形で、五十鈴は乎沢と晃と共に、旅行に参加することになってしまう。
 その事を五十鈴は、晃の部屋で晃と共に片づけをしていた乎沢の元へ持って行く。
「旅行ですか! いいですね!」
 乎沢は乗り気である。ただ、晃は困惑していた。
「僕が行ってもいいんですか?」
「構わないそうです」
「なら、晃様の水着と、五十鈴様の水着を買いに行かなければなりませんね!」
「私は、水着を着ませんよ」
「そうと決まれば、お買い物に行きましょう! 五十鈴様も準備してください」
「私も行くの?」
「はい!」
 乎沢が、目をキラキラさせて、年甲斐もなく子供のようにはしゃぐ。五十鈴は困った風に晃の方を見ると、晃の方も困ったように笑っていた。

 午後十時頃。
 庭が見える縁側で、晃はぼんやりと月を見上げていた。慌ただしい一日が終わった。明日から旅行に行くという事であるが、いまいち実感が湧かない。
 鬼神会との決別。それもまだ実感が湧かない。これから、ここで上手くやって行けるのか。そんな不安も、常に心の中にある。それでも、現実から逃げるわけにはいかない。妹の櫻が、あれだけ一生懸命に戦っているのだ。それに応えなければならない。
 ただ、一つだけ気がかりがある。鬼神会に居る、久遠の事だ。鬼神皇や、他の死大王と敵同士になるのは、諦めがつく。しかし、久遠と敵同士になるというのは、今でも避けたいと考えていた。
 考えなければならない事がたくさんある。
「晃君、そろそろ休みなさい」
 背後から五十鈴の声がした。晃は、『はい』と答え、自室へと戻る事にする。
 晃の新しい生活は、こうして始まった。

 第七章 END

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