堕天王の逝く道

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zoom RSS 空白ノ翼第七章『覚醒予兆』 第四話『由紀子は雪子だけど、由紀子が茜だった?』

<<   作成日時 : 2012/09/27 21:59   >>

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空白ノ翼は、私こと堕天王が描く、長編現代ファンタジーです。
本編は、前の話を読まなくても分かるように努力して書いているため、やや説明過多な所が見受けられるかもしれません。下記の『空白ノ翼の説明書』をご覧になると、もう少し分かりやすくなるかと思います。

空白ノ翼については、
空白ノ翼の説明書
をご覧ください。

第七章の第四話です。
今までの流れは、空白ノ翼の説明書に記載しております。話は第三話で一区切りとなり、ここらからは第二話と第三話で噴出した問題の後片付けです。今回は、小泉由紀子の問題を解決します。

空白ノ翼第七章『覚醒予兆』
第一話『沙夜の友達』
第二話『覚醒予兆前編』 その1 その2
第三話『覚醒予兆後編』 その1 その2

関連が深い話は、そのまんま第七章の第二話と第三話です。それの問題解決編なので。
続く第五話と第六話で、晃君の話が解決して、第七章は終わりとなります。第五話は、現在執筆中。

では、本編です。



   空白ノ翼第七章『覚醒予兆』
   第四話 『由紀子は雪子だけど、由紀子が茜だった?』


 8月13日 18時頃
「当主! 入ります!」
 慌てた様子で、男が部屋に入ってくる。普段は冷静沈着で滅多に動じない彼だが、今日はその表情に戸惑いを深く映し込んでいる。しかし、彼が戸惑う理由もよく分かる。
 当主と呼ばれた男は、陰気な笑みを浮かべる。そんな笑みであるが、内心は喜びに満ちていた。
「生きていたようですね」
「あっ、はい。間違いなく、赤鬼(せっき)の暴走反応です」
「これは楽しくなりそうですね。九琥津(くくつ)、この事について調べなさい。可能なら、干渉することを許可します。もし、茜が生きていたのであれば、生け捕りにして来なさい。その場合は、立ち塞がるもの全てを薙ぎ払ってでも。全力で戦う事を許可します」
「御意」
 深く頭を垂れて、九琥津と呼ばれた男は部屋を出て行った。窓際に行き、夕焼けを臨む。
「茜が生きているのであれば、会いたいですね。そしたら、問う事が出来るというものです。私が、何を間違えたのか。それを知る事が出来たら、私は変われるのでしょうか?」 
 男は、途端ぞっとするような笑みを浮かべて、頭を左右に振った。
「馬鹿馬鹿しい。変わったところで、何も得るものがない。そうですね、生きていたら殺しましょう。私の目的のためには、あの子は最早邪魔でしかない。必要がありません。殺しましょう。そうです。殺しましょう。殺すのですよ。きっと、それがいい。それこそが最良!」
 両手を広げて、天井を仰ぎ、狂ったように笑う。その姿は、どこか哀れささえも感じるものであった。

 8月14日 早朝
 鬼神会の死大王(しだいおう)の一人、阿蛇螺(あじゃら)使いの晃(あきら)。彼が与えたショックのせいで、小泉由紀子(ゆきね)は封印されていた『赤鬼(せっき)』の力を暴走させてしまった。しかし、氷女(こおりめ)沙夜の尽力により、『赤鬼』の力は再封印され、一件落着――のはずだった。
 覚醒した由紀子は、己を『茜』だと言う。それは、おかしい。ちぐはぐで、でたらめで、わけが分からない。
 水及(みなの)は、十年前の事を思い出す。後に『尼崎(あまがさき)家の崩壊』と呼ばれる大量殺人事件は、『赤鬼』の暴走によるものであった。尼崎家はそもそも秘密主義で、交流もない。公式で伝わっていたのは、長女音子(なりね)と次女雪子(ゆきね)。その間の本当の次女、それが『赤鬼』という先天性霊障に罹患していた忌み子であったことを知ったのは、事件の後の事であった。
 水及は、木妖(ぼくよう)と呼ばれる木の形をした妖(あやかし)を各地に植えており、その木妖同士は霊的な道で繋がれている。その霊的な道を通って、水及は自由に移動する事が出来る。単独で尼崎家へと侵入した水及が見たのは、赤い瞳を輝かせ、悪鬼の如く暴れまわる幼子だった。水及はその幼子と戦い、鎮めた。後に尼崎家の関係者から、その幼子の名前は『雪子』だと判明。ここから話がおかしくなる。
 先天性霊障を患っていた忌み子は、抹消された次女『茜』であることが判明する。雪子は、『赤鬼』を患ってはいなかったのだ。感染症だったのか? という疑問は、すぐ否定される。すぐ傍にいて茜の世話をしていた月子(つきね)という少女は、全く感染していなかったからだ。後に、各代一人しか発生しない先天性霊障であり、感染したことなど過去にもない事が判明する。なら、何故雪子は、『赤鬼』を罹患していたのか? あの幼子が、『茜』であったのか? しかし、月子は別の遺体を『茜』だと認識していた。
 保護したのは、間違いなく尼崎雪子。水及は、『赤鬼』暴走のプロセスが分からなかったため、能力と共に人格や記憶も深層心理に封印した。そして、別の人格と名前を上書きした。それが、小泉由紀子である。
 小泉由紀子は、尼崎雪子をベースにしている。それだというのに、彼女は自分を『茜』だと言う。肉体は雪子で、中身は茜だったというのか。なら、雪子はどこに行ったのか?
 水及は、小首を傾げる。いくら考えても分からない。情報が少なすぎる。しばらくの間、目を閉じて考えていた水及であったが、突然目をかっと見開いた彼女は、突然――茜と名乗っている由紀子の頭を右手で掴み、背後の壁に叩きつけていた。
「なっ……?!」
 驚く――便宜上『茜』。水及は、底冷えするような冷たい瞳でそんな茜を睥睨(へいげい)していた。
「別に殺すつもりはない。ただ、面倒になったから、眠ってもらう」
 水及は、強制的に今ある人格を深層心理に封印、由紀子の人格を呼び覚ます事にした。そんな水及の右手を、茜が左手で掴んだ。茜の瞳には、明確な敵意が燈っていた。
「事情は把握できませんが、他者の気の赴くままに、振り回されるのはもう御免です。水及様が私の意思をねじ伏せようというのであれば、私は……!」
 茜の赤色の瞳が輝き、暴走状態の時に纏っていた炎の属性を纏う。茜に掴まれた部分から煙が登り、肉を焼く嫌な匂いが漂う。水及は、眉根を細め――それから、ゆっくりと茜の頭から手を離した。
「分かった。一から説明してやる」
 茜も水及の右手を離す。解放された水及は、三歩ほど後ろに下がる。その間に、白い布のようなものが衣の下から出て来て、水及の右手を覆った。水及の治療術式の一つである。
 水及は、手鏡を茜に手渡す。茜は不思議そうにしつつ、そして水及を警戒しながら、手鏡を受け取った。
「自分の姿をよく見ろ」
 茜は、鏡面を自分の方へと向けた。
「えっ……」
「その体は、尼崎雪子のものだ」
「雪子ちゃんの……? でも、雪子ちゃんは、まだ子供……」
「あれから十年が経っている。そして、十年前に尼崎茜の死亡は確認されている」
 水及は、茜に十年前の『尼崎家の崩壊』の顛末。これまでの概要を伝えた。茜は、最後まで俯いて一言も発しなかった。茜は今、自分が生きていると錯覚している。彼女が本当に茜なら、もう彼女の人生は終わってしまっているのだ。自我はここに在るのに、死んでいるという矛盾した事実。彼女は、どう受け止めるのか。水及はただ、静かに彼女の言葉を待った。
「困りました」
 茜は苦笑いをしているようだった。
「どう……受け止めていいのかが、分かりません」
 茜は両の手の平を広げて眺めている。
「私の手ではないんですね。どうしてこんなことになっているのやら」
「分からないのか?」
「分かっていたら、これほど困惑はしていません。私の意識は、神山(かみやま)さんに別れを告げた所で……あっ」
 茜は、慌てて自分の口を覆った。
「神山聡(さとし)のことについてはすでに把握している」
「彼は関係ありません!」
 茜の剣幕を、水及は左手で制す。
「ただ監視下に置いているだけだ。彼に干渉するつもりはそもそもない」
 水及は茜に、神山聡が記憶喪失であることを話さなかった。話をした所で、不安を煽るだけである。
「その言葉、信用してもいいのですか?」
「直接会うのは避けた方がいいだろうが、遠目で彼の事を見るぐらいなら、構わないが?」
 茜は、首を横に振る。
「そんなことをしたら、未練が残ってしまいます。私は別に、あのまま死んでいても良かった。なのに、私の自我は未練がましくまだここに在る。しかも、他人の体の上に。これは、一体何の罰ゲームでしょうか」
 水及は何も答えなかった。答えられるはずがなかった。彼女は誰かに対して、明確な答えを求めてなんかいない。ただの自問自答に過ぎない。
「私がここにいて、その人格の上に、今を生きている小泉由紀子という子がいる。その子は、雪子ちゃんの人格をベースにしているわけではない。ということですよね?」
「そういうことになる。とりあえず今言えることは、雪子の自我はその体の中にはない。私が雪子の自我だと思っていたのが、君だったのだからな」
「……少し、外を見てもいいですか?」
「部屋の入り口までなら」
 茜は立ち上がり、閉じられていた襖を開けた。入り込んでくる熱気と、太陽の光に目を細めている。彼女の瞳には、夏の空が映りこむ。どこまでも青い空と、青い空に広げられた立体的で様々な形をした雲。両手いっぱいに広がる空を、茜はただただ見つめていた。
「父……尼崎一(はじめ)は、どうなりました?」
「死体は見つかっていないが、多分死んでいる。赤鬼の暴走状態にあったお前が、区別できないぐらいにバラバラにしていたから、判別不能だった」
「ざまぁみろ」
 その言葉には、父親への憎しみがこれでもかっという程込められていた。
「尼崎家は、橘家によって解体され、生き残った連中は日本中にバラバラに移住させられた。もう彼らに力は何もない。本家は、月子が管理している」
「月子が? あの子は、無事だったのですね」
「月子には、赤鬼の事を研究してもらっている。彼女の研究が実を結べば、赤鬼が不当な扱いを受ける事もなくなるだろう」
「……どうして、そこまでしてくださるのですか?」
 茜は、襖を閉じて振り向く。いい加減暑くなってきていたので、水及もほっとしていた。
「最初、処分する方向で話が進んでいたが、小泉家の当主の夫が、『どんな理由であろうとも子供を殺してはいけない。殺すぐらいなら、私が育てる!』と言い放って、主張を絶対に曲げなかった。だから私は、折衷案として小泉由紀子を作り出した。そして今、小泉由紀子は、尼崎家の息女ではなく、小泉由紀子として大切にされている。彼女を守りたいという思いが、皆を動かしている。封印されていた君からしたら、迷惑な話かもしれないがな」
「愛されている……と。そうですか。色々と腑に落ちない事、分からない事もありますが、今この体で生きている小泉由紀子という子は、幸せなのですね。それは良かった。ならば、早々に返してあげないと。私の人生は、あの時に終わってしまった。死んだ人間が生きているなんて、そんなのはやっぱり誰にとっても良くない」
 胸に手を添える。自分の中に居る小泉由紀子の事について、思いを馳せているのだろうか。その表情は、とても穏やかなものであった。
「水及様。彼女の事を宜しくお願いします」
「分かりました。約束しましょう」
 水及は言葉を改め、そして茜を安心させるように優しく笑って見せた。

 由紀子への施術を終え、居間で待機していた椿に後の事を任せた。今度目覚めた時は、間違いなく小泉由紀子である。本来の形へと収束する。後は、水及が干渉する事ではない。
 水及はその足で地下へと降りた。地下には、計四つの座敷牢が存在する。一体、何を隔離していたのかというと、この座敷牢は身内用である。掟を破った者をぶち込む反省室だ。しかし、ここが本来の役目を担っていたのは、明治時代までの話である。昭和に入ってからは、専ら重度の霊障を患った者を隔離していた。
 水及はその階段を降りる際、少しだけ眉根を細めた。この座敷牢に眠る記憶は、水及にとっても重たいものだったからだ。
 現在、座敷牢は改修中である。一列に四部屋並ぶ座敷牢。一つだけ残して、三部屋を一つにする。座敷牢一つ辺りの大きさは、六畳程度。三つぶち抜いても十八畳。そこに様々な医療機器が搬入される予定で、地下に運び込めない大型の物は、母屋の余った部屋を使って設置される予定になっている。そして、一つだけ残った部屋には、阿蛇螺使いの晃こと、藤堂晃が眠らされていた。
 地下は、大騒ぎである。人や物が入り乱れている。水及は、作業員の邪魔にならないように端に寄りつつ、ここにいるはずの橘勝彦を探す。彼は、入り口からそんなに離れていない場所で、改修作業を見つめていた。水及はそんな勝彦の着物の裾をクイクイと引っ張った。
「ん? あぁ、水及様。由紀子の様子はどうでしたか?」
「問題ない」
 水及は端的に答える。勝彦はその時、水及の右腕に白い布が巻かれている事に気付いた。
「事情は分かりませんが、短気は損気ですよ」
 勝彦にそう見抜かれて、水及は無言で何度も勝彦の裾を引っ張って嫌がらせをした。しかしそれぐらいのことでは、勝彦も全く動じない。何事もなかったように、持っていた資料を水及に手渡した。
「なんだこれ?」
「藤堂晃の検査データです」
 資料には、いくつもの数字と英文字が躍っている。水及は顔をしかめて、資料を凝視する。
「……つまり、どういうことだ?」
「分かりません」
 勝彦は、きっぱりと言った。医療従事者ではない二人にとっては、そこに掲載されている情報は、難解な暗号のようなものであった。
「まったく嘆かわしい。仕方ないから、この私が説明してやろうじゃないか」
 奥から、一人の老婆が姿を現した。小柄な体躯。綺麗な白髪。少しだけ腰が曲がっており、人を小馬鹿にしたような笑いを振りまく。水及は、露骨に嫌そうな顔をした。この老婆の名は、佐々木瑠々(るる)。表向きは、佐々木骨董品店というお店の主人であるが、その裏側は、妖や霊障の治療、霊的な武器の搬入出荷など、除霊屋家業の縁の下の力持ち的な存在であった。
「出たな」
 水及の言葉には、嫌悪感がある。水及は、この佐々木瑠々に対して苦手意識があるのだ。
「久しぶりですね、水及。今は、その姿見か。誰の趣味だ?」
「今の姿は、本体に近いものだ。趣味とかいうな」
「てっきり勝彦の趣味に合わせていると思ったのだが」
「私を貶めるような発言は、控えてもらいたい」
「真実だから、それは仕方がない」
 瑠々は、楽しげに笑う。勝彦は頭を抱え、水及も呆れた顔をしていた。
「ぶっちゃけると、低血糖状態だ」
 突然、真顔に戻るとそんな事を口にする。勝彦も水及も、その変わり具合に対応するのに、少しばかりの時間を要した。
「あっ……低血糖状態……ですか?」
 勝彦が繰り返す。
「死ぬほどじゃないが、かなりギリギリまで血糖が下がっていてね、今、糖液を滴下している」
「糖尿病ということか?」
 水及の問いに、瑠々は首を横に振る。
「何も低血糖は、糖尿病に限った事じゃない。例えば、メシを食わずに全力で戦い続ければ、糖は下がる。糖は補給しなければ、体が勝手に製造するものじゃないからね。後は、CPK、CRP、ワイセ辺りの上昇が認められるが、心電図や脳波に乱れはない。戦闘による肉体への負荷によって、数値が悪化しているだけかもしれないね。まぁ、それほど悪い結果ではない」
「そ、そうか」
 と呟いたものの、勝彦は話を半分程度しか理解していなかった。
「今は、低血糖による昏睡状態に陥っているから、しばらくは点滴と一応抗生剤の投与で様子を観るしかないね」
「昏睡状態……というのは、寝ているという事だよな?」
「昏々と寝ていると意味だ」
「いつ目を覚ます?」
「午後には目を覚ますんじゃないかな」
 あっさりと瑠々は答えた。
「全ての検査が終わるまで、一週間の予定で組んでいるから、詳しい事はその時まとめて話すとするよ。一応、血中濃度も調べたけど、よく分かんない物質が混じっているんだよねー」
 瑠々は、別の資料を眺めつつ首を傾げ、そして奥へと消えて行った。
「相変わらず、一方的に喋って自己完結か。まぁ、アイツに任せておけば問題はないか。性格はともかく、腕は確かだしな。しかし、どうしてあんな性格になってしまったのか。昔は、可愛かったのになぁ」
「水及様」
 遥か昔のことに思いを馳せる水及の肩を、勝彦が指で突く。
「そろそろ当主会議の時間ですので、先に行きます」
「ん? 分かった。私もすぐ行く。ちょっと、晃の顔を見ておくよ」
 勝彦は水及に頭を下げて去っていく。水及は、忙しく行き交う人を縫い、瑠々が向かって行った先を目指す。
 壊されずに残された奥の座敷牢。敷き詰められた畳の中央に、ベッドが一台。その周囲は、人や物がごちゃごちゃとしていて、判然としない。瑠々が、ひっきりなしに指示を出している。そんな人や物の隙間から、少しの間だけ晃の横顔が見えた。安らかな幼い寝顔。水及は、座敷牢を囲う木の柱に寄り添い、そっと見つめる。その心中は、とても複雑なものであった。

 橘家の中央付近にある部屋を訪れる。襖を取り除いて、横長の十八畳の部屋。水及は、そこに集まっている面々を確認しつつ、上座へと座った。
 水及から見て、左側にいるのが橘家の当主勝彦。その隣が、小泉家の当主透子。その前に居るのが、水無月家の当主直久。直久よりもさらに部屋の奥、部屋の隅にいるのが、十年前の『尼崎家の崩壊』で生き残った片割れ、尼崎月子。かなり緊張している面持ちである。
「では、これより臨時主要当主会議を始めます」
 勝彦の凛とした声が、部屋に響いた。
 昨夜の赤鬼暴走から晃の保護までの経過が説明される。水及は座卓に片膝を付き、眠たそうに――いや、本当に半分眠りながら聞いていた。水及は、一睡もしていない。そろそろ、疲労がピークに達しようとしていたのだ。会議の中で半分眠りこけているのであれば、他の面々に何か言われそうなものであるが、ここでは水及が一番偉い。そんな水及に苦言を言える人はいないし、そもそも会議の最中水及の態度が悪いのはいつもの事。今さらな話なので、誰も気にしなかった。
「水及様、小泉由紀子に対する施術はどうなりました……はぁ」
 勝彦が振り向いた時には、すでに完全に落ちていた。勝彦は大きな溜息を吐いた後、水及の肩を揺らす。
「水及様、せめて言うべきことは言ってから寝てください」
「ん……あぁ……チョコレートケーキが食べたい」
 その瞬間透子が吹き出し、慌てて口を塞いで顔を背けていた。
「水及様、そうではなくて……とにかく報告を。小泉由紀子はどうなったんですか?」
「あぁ……施術は成功した」
 なんとか目を覚ました水及は、端的にそれだけ答えた。他にも何かあるのかと思い勝彦は少し待ったが、水及は再び突っ伏して眠ってしまったため、その時点で放っておくことにした。
「小泉由紀子は、小泉家に引き続き引き取ってもらう。水無月家には、小泉家と連携して収集したデータの整理、および今回の一件で刺激された連中が櫻町に侵入してこないか、そこら辺の警備の強化を頼む」
「藤堂晃は?」
 直久が尋ねる。
「今はまだ何とも言えない。追って報告する」
「一応、水無月家の当主としての立場がありますから、言っておきます。十年前の尼崎家の崩壊同様、厄介事になる前に処分することを進言します。十年前に赤鬼も処分していれば、こんな事にはならなかった」
 水無月家は、橘家を護衛するという任務を帯びている。彼の立場からすると、橘家に被害が出そうなことは、早めに摘んでおいてもらいたいのだろう。
「処分はない。彼は、鬼神会に拉致されていた一般市民だ。小泉由紀子とは違う」
「鬼神会と全面抗争になる可能性があってもですか?」
 勝彦は、せせら笑う。
「それがどうしたというのだ。いずれは倒さなければならない相手だぞ」
「私たちがやるべきことではないと、一応申しておきます」
 直久は、つまらなさそうにそう言った。
「藤堂晃の件は分かりました。そろそろ今回の暴走について、月子から話を聞きたいのですが」
 透子が空気を読んで話を逸らす。直久も口を挟まなかった為、月子が発言することになった。月子は、現在赤鬼について独自調査を請負っていた。そして、月子の報告が始まった頃には、水及は完全に寝入ってしまっていた。

 書類を持ち、立ち上がる。手が震えるのを、月子は直に感じていた。ここにいる面々は、皆偉い人。いつかは成果を発表することになるとは思ってはいたが、それでも急すぎた。正直、まとめる時間もなかったため、上手く報告できるかどうか、全く自信がなかった。
 そして、ありえない事に水及は寝ている。
「報告します」
 声まで震える。
「今回の……えと、赤鬼の暴走について。過去にも同様のことが起こっていたみたいで、私は、そこに共通点があるのではないかと、その調べていました。過去の当主の日記には……」
 当主の日記。他の一族にもそういうものがあるのかもしれないが、尼崎家はかなり特殊である。綿々と、欠落しているため不明であるが、初代当主から続いていると思われる当主の日記。それは、当主になった者に課せられる絶対的な使命であり、結果十年前に当主一が死亡するまで、続いてきた。主観で書かれたものであるため、役に立たない部分も多いが、尼崎家の事を調べるには、その当主の日記ぐらいしか過去の資料が存在しないのである。その貴重な文献である当主の日記も、大幅に欠落しており、特に西暦1100年以前のものは、ほとんど残っていない。これは、現在月子が立っている場所。橘家が九州に進出した際、当時九州北部を縄張りにしていた尼崎家を滅ぼし、当主の日記を燃やしてしまったからである。今の尼崎家は、橘家の執拗な残党狩りから逃れた者達によって再結成されたものであった。
「暴走した赤鬼が、『種の保全のため』と呟いていた、と記されていました。これにより、赤鬼の暴走は、罹患者が生命の危機に立たされた際に起こる、ある種の防衛本能……いえ、あの、防衛……機構? だと、思われます」
 本能では多分ない。能力が暴走しているというよりかは、赤鬼の力が勝手に発動し、罹患者を守っているように思える。ならば、それは本能に刻まれたものではなく、赤鬼そのもののシステムに組み込まれたものである可能性が高い。
「今回も小泉由紀子は、阿蛇螺使いの晃により命の危機に瀕しておりました。執拗に阿蛇螺使いの晃を攻撃していた事からも考えて、防衛機構が働くと、自分に危害を与えた者をなんとしてでも排除しようとする。それが、結果的に私たちから見ると、能力を暴走させているように見えるのではないか、と考えます」
「先代の茜の際もそうだったのか?」
 勝彦に問われて、月子は唾を飲み込んだ。十年前に起きた、尼崎家の崩壊。その起因について、月子は虚偽の報告をしている。もう半分ぐらいはバレてしまっている雰囲気はあるが、十年前の事について聞かれるのは、心臓に悪い。下手な事を言わないようにしないと――月子は、そう念じつつ、勝彦の問いに答える。
「はい。あの時は、前当主が茜様に危害を加えようとしたため、茜様の赤鬼の防衛機構が働いたみたいです」
「一度作動してしまった防衛機構は、止める事は出来るのか?」
「過去、防衛機構が働いて止まったのは、水及様が十年前に雪子様を保護した時だけです。歴代の尼崎家の当主は、今分かっている限りでは誰もなしえていないようです」
「その話から察するに、対象者を屠れば防衛機構は役目を終えるように思えるが?」
「えと……」
 ほふる? 月子は、聞いたことのない言葉に戸惑う。
「命の危機が去ったら、防衛機構は落ち着くのですか?」
 透子がフォローしてくれた。月子は、心の中で感謝しつつ、後でお礼を言わなければと思う。透子は、勝彦や直久と違って、月子に優しくしてくれる。
「現在分かっている限りでは、一度、防衛機構が働いてしまった罹患者は、雪子様以外全て殺されています。可能性としては、十分あると思います。あの、今回防衛機構を治めてくれた方に、話を聞くことはできますか?」
 すると、透子が苦笑する。
「ごめんなさい。協力を承諾してもらう代わりに、その現象の全てを見なかったことにする、という条件を呑んでしまったのよ。彼女に接触させるわけにはいかないの」
「いえ、あの、大丈夫です」
 それならば、残念だが仕方がない。ここで駄々をこねた所で、月子の力では決定を覆すことなんて出来ないのだから。
「私から、報告できることは以上です」
 言えることは、全て言った――はず。緊張に体を強張らせつつ、他の面々の動向を伺う。誰も発言しない。月子はそれを見て、言葉を続けた。
「あの、一つこちらから聞きたいことがあるのですが」
「続けなさい」
 勝彦に促され、月子は直久へと視線を向けた。
「先代の赤鬼だと称していた尼崎紅(あか)について、私は情報を持っていません。何か、情報があるのであれば、教えて頂きたいのです」
 赤鬼が防衛機構を発動させている際、戦力を補うように呼び出した『尼崎家の亡霊』と名乗る、謎の霊体集団。その一個体が、『尼崎紅』と名乗った。そして、彼女はこう言っていた。
『あなたの両親に、大きな貸しがあるのよ。知りたければ、水無月直久(なおひさ)か、小泉五十鈴(いすず)……今は、結婚して橘五十鈴か。その二人に、『レッドアイ』の事を聞いてみる事ね』
 直久は、勝彦へと視線を向けた。それに合わせて、月子も勝彦を見る。勝彦は、ただ押し黙っているだけであった。
「レッドアイと言えば、直久さんたちのチームが初戦で滅敵した妖ですよね」
 沈黙を透子が破る。
「勝彦様、答えて頂きたい。あの女は、『すでにばれているだろうから』と口にしていた。しかし、私たちは誰もあの女の事を知らなかった。後、確認をしていないのは、勝彦様と水及様だけ。ここでは多くは語りません。だが、あの時の事、説明して頂けないのですか?」
 直久の言葉は、かなりきついものになっていた。月子には、事情が分からない。立ち竦んでいると、勝彦が『座りなさい』と促した。慌てて一礼をして、月子は座った。
「尼崎紅と面識があった。彼女は、赤鬼の力を持たないにも関わらず、赤鬼に匹敵する力を持つ弟の一を倒す方法を探していて、私に辿り着いた。私も、一を警戒していたため、彼女に協力することにしたのだが、何度か連絡を取り合った後、彼女からの連絡がぱたりと途絶えてしまった。今さら、彼女が死んでいたのだという事を知った所だよ」
「一哉(かずや)君を前線に投入した理由は・・・」
「それは、公で話す事ではない。詳しく聞きたいのであれば、一人で私の所に来なさい。耳が腐ってもいいというのであれば、話しても構わない」
「申し訳ありません」
 直久は、頭を下げてそれ以上発言しなかった。それを見て、勝彦は話を続けた。
「月子には、この櫻町へ移住してもらうつもりだ。部屋もここに用意する。昨夜のように、駆けつけようとしても間に合わなかったという事が、今後あってもお互いに困るだけだ」
 月子は、『はい』とだけ答えた。勝彦の言う事は、もっともだ。昨夜、月子は赤鬼の覚醒反応を察知して、櫻町へと慌てて向った。しかし、山を挟んで反対側の尼崎家からだと、準備も含めて優に九十分近くかかった。その間に、赤鬼の再封印が施行されており、到着した時には最早何もすることがなかった――という状態であった。その事を月子は苦々しく思っていた。そのため、勝彦からの提案は非常に魅力的であった。
「尼崎家の本家の管理は、小泉家に任せる。後は、櫻町の警備の強化も含めて、今回の赤鬼の暴走……いや、防衛機構の発現が及ぼしてくる影響について、徹底的に対応していく」
「一応、聞いておきます。赤鬼の処分もない、ということですね?」
 直久の問いに、勝彦は深く頷く。
「それはない」
 直久はそれ以上何も言わなかったが、どこか呆れているような様子でもあった。この後、勝彦から今後の方針の続きが少し話された後、臨時主要当主会議は閉幕した。

 会議が終わり、水及を布団に寝かせようとした時、水及が目を覚ました。
「おはようございます」
「会議は……終わってしまったか」
 眠たそうにしながら、水及はぼそりとそう言う。そんな彼女に、勝彦は会議の内容を伝えた。
「そうか。赤鬼本来が持つ防衛機構……か。なるほどな。理に適っている」
 水及は立ち上がると、大きく体を伸ばした。
「水及様、一度家に戻られては? 後の事は、私がしておきますから」
「……勝彦、すまないな。色々と思う事があって、干渉するのを躊躇っていた。目が醒めたらまた来る。あまり、無茶をするなよ」
 水及の口から、『すまない』なんて言葉が出て来た事に、勝彦は驚いた。傍若無人で、台風と同義の彼女が、他者に謝るなんてことはほとんどない。ただ眠たいだけなのか、それともやはり気持ちが沈んでいるのか――晴れない顔をした水及は、部屋を出て行った。勝彦もその後を追い、庭へと赴く。水及は、基本庭から出入りしているからだ。しかし、そこには水及の姿はもうなく、ただただ猛烈に大地を焦がす太陽の輝きがあるばかりであった。
「私も、色々と考えなければ」
 様々な事があった。しかし、勝彦は侍だ。もっとも心を重くさせているのは、鬼神皇を倒せなかった事である。鬼神皇を倒すためには、今使っている刀ではダメージが通らない。そう思うのだが、本当にそうなのか? という思いもある。
 橘家は、武器を問わずに全力で戦えるのが基本方針だ。故に、橘家には名だたる名刀や名槍はない。勝彦が使っている刀も、オーダーメイドであるが刀自体に力は宿っていない。纏わせるのは己の霊力のみ。その基本方針がいつから存在していたのかは分からないが、かの鬼神皇を退けた橘家の椿が、名のある薙刀を使っていたとは思えない。彼女もまた、普通の薙刀に己の霊力を纏わせ、そして鬼神皇の左腕を切り落としたのだろう。まともにダメージを通せなかった自分と、橘家の椿、双方にどんな違いがあるというのか。そこまで、橘家の椿という女は、化け物だったとでもいうのか。鬼神皇と対峙した時の彼女の年齢は、十七か十八ぐらい。正直、小娘もいい所である。そんな彼女との間に横たわる、絶対的な壁。それが全く見えてこない。
「少し彼女の事を深く調べる……いや、水及様に聞いてみるべきか」
 橘家の椿のことは、名前は残っているものの、かつて彼女は相当の問題児であったらしく、文献らしいものがほとんど残っていない。ならば、その時代に直接面識があった、水及に聞くのが一番早い。
 そんな事を考えている時、勝彦は気配を感じた。周りを見渡しても、人影はない。勝彦は庭に出る。太陽が眩しい。日陰へと身を寄せ、それから彼は後ろを振り返った。そこに、一人の女性が立っていた。漆黒の髪を背中の半ばほどまで伸ばし、瞳の色はダークブルー。西洋系の顔立ちの彼女の事を、勝彦は良く知っていた。
「久しぶりですね、アリス」
 勝彦は、懐かしむようにその名前を口にする。すると、アリスと呼ばれた女性は頬を染めて、慌てた。
「そ、その名前で呼ぶなと前も言ったはずだ! 今は、インビシブルで通っている」
 以前もそう言っていた事を思い出す。なんでも、『アリス』という名前の可愛らしさが、自分に似合わないのだと、主張していた。
「そろそろ来る頃合いだと思っていた」
「いつも、遙が世話になっている。ありがとう」
「こちらこそ、彼女には助けてもらっている」
「こんなことを頼むのは心苦しいのだが、こちらにも事情があって。遙が現出させた翼の件、そちらで揉み消してくれないか」
 インビシブルは、とても困った顔をしていた。それだけで、勝彦も事情を察する事が出来た。
「分かった。出来るだけの事はしよう。その代わり、そちらにも一つだけ頼みがある」
「ん?」
「藤堂晃の事だ。鬼神皇も、あなた達が追いかけている敵なのだろう?」
 遺跡管理集団『ユグドラシル』。それが、彼女が所属する組織の名前だ。前文明の遺産を、管理運営している組織という事らしいが、勝彦も詳しい事はほとんど知らない。
「あぁ、なるほど。確かに普通ならば、藤堂晃の身柄はこちら側に渡してもらうのが筋なのだが、アイツから特別指示も出ていない。それならば、知らない振りをしておいてもいい。それに、勝彦さんの手元に置いておくのであれば、アイツも何も言うまい。それでも何か言って来たら、遙の事を引き合いに出して、黙ってもらうよ」
「すまない」
 勝彦の言葉が紡がれると、インビシブルは会釈して、霧のようにその姿をくらました。彼女が得意とする隠密系の魔法であろう。正直、敵には回したくない相手である。
「さて、次はマスコミを恫喝しに行くか」
 余計な事に気付いて、余計な事を口走る前に、徹底的に圧力をかけておく必要がある。そのために、除霊屋を保護する特別法が存在するのだ。
 山積する問題を解決するために、勝彦は職務をこなしていく。

 夢を見ていたような気がする――。
 由紀子は、ぼんやりと天井を見据えてそう思った。しかし、どんな夢を見ていたのかは、判然としない。もう少し思い起こしてみるか――と思ったその時、『由紀子さん』と声がかかった。
 すぐ傍に、椿の姿があった。笑っているような泣いているような、そんな複雑な表情。
「椿さん……あれ? あ、私、なんか約束していたっけ?!」
 慌てて起き上がる。
「十九日に海に行くから、買い物に行こうって、昨日約束したじゃないですか」
「そう……だっけ?」
 まるで覚えがない。他にも不思議な事があるのだが、そこまで気が回らないのが現状だった。
「早く準備してください。私は、これでも忙しいんです」
 遅刻ともなれば、怒髪天を突く勢いで怒る椿が妙に優しい。怒っているように見せているだけで、全く怒りが伝わってこない。色々としっくりこなかったが、『まぁいいか』と由紀子はあっさりと諦めた。
 由紀子はこの後、椿と共に出かけ、途中で沙夜と合流して三人で一日過ごした。そうしている内に由紀子は、すっかり色々と引っかかっていた事を忘却していたのであった。


END

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空白ノ翼第七章『覚醒予兆』 第四話『由紀子は雪子だけど、由紀子が茜だった?』 堕天王の逝く道/BIGLOBEウェブリブログ
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