堕天王の逝く道

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zoom RSS 空白ノ翼第七章『覚醒予兆』 第三話『覚醒予兆後編』 その2

<<   作成日時 : 2012/02/17 22:11   >>

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 現場に向かう途中、沙夜は死神さんから己の能力について、『今必要な事だけ』という前置きを経て聞いた。
 沙夜の今分かっている、『特殊で強力な霊媒体質』というのは、能力のおまけみたいなもので、能力の根幹となっているのは、『扉を開けること』。『扉』という概念を持つものなら、物理的なものから精神的なものまで、全てこじ開ける事が出来る『万能な鍵』。それが、沙夜の能力との事。その能力を制御するものが沙夜にはなく、何故か死神さんが保有しているとのことであったが、これについては訪ねても、『そういうことになっている』と答えをはぐらかした。死神さんと一体化することで、沙夜は己の能力を自由自在に使えるようになるため、その状態で、変質した由紀子の閉ざされた自意識の扉をこじ開けて、侵入し、自意識を叩き起こす事で暴走を止める。それが今回の作戦だと、死神さんは語った。
「そんな事が出来るの? やり方が分からないけど」
『私が指示するから心配するな』
 それ以上は、説明する気がないらしく、沙夜も諦めるしかなかった。
 そして、死神さんと一体化し――死神さんが、沙夜の体に溶けるように消えて行った、沙夜は己の力を変質した由紀子に対して解き放った。
 最初に味わった感覚は、落下だった。真っ赤に染められた空間を、ただひたすら『落ちていた』。それは、感覚的なもの。周りを見渡しても、どちらが上で下なのか、そんなものはさっぱり分からない。故に、『落ちている』ような気がして、上に登っているのかもしれないし、左右に動いているだけなのかもしれない。
『時間が勿体ない。一気に最奥まで行くぞ』
 頭の中に、一体化している死神さんの声が響いた。沙夜はそれに抗わず、言われるがまま落ちて行く。間もなくして、ただひたすらに赤い空間の果てに、真っ白な光が見えた。徐々に近づいてくるその光。そこが到着点なのだろう。死神さんは、特別指示をしなかった。そのため、沙夜はそのまま光の中へと突入していった。
 無音。閉じていた瞼を開けると、一面の草原が飛び込んできた。
「ここは……」
 草原なのかと思った。しかし、良く見ていると違う。周りは、深い緑で覆われており、ぽっかりと空いた空間に背の低い草がみっちりと生えている。そんな場所だった。空を仰ぐと、同じくぽっかりと切り取られたような青い空が収まっていた。雲一つない。心が清々しくなる程の晴天である。
 現実かと思えてしまう程の光景。しかし、音もしなければ風も吹いていない。その空虚な感覚は、到底現実ではなかった。
 中央に大きな岩が鎮座している。背丈は、身長が150cmの沙夜よりも少し低い。その下は、ほとんど地面に埋没しているようだが、出ている部分から考えると、背丈だけでも3メートルはあるのかしれない。
 その岩の上に、人影があった。沙夜に背を向ける形で、膝を抱えて座っている。まるで、岩の上に小さな岩を乗っけているような感じである。長い髪が、背中全てを覆っている事から、性別は多分女性。それぐらいの事しか分からない。
「あれが……由紀子さんだよね?」
『ここは彼女の心の中だ。他人がいるはずがない』
 全くその通りである。
「これからどうしたらいいの?」
『心を鎮めさせればいい』
「どうやって?」
『お前の能力は、己の気持ちを相手に植え付けることも可能だ。相手の心を穏やかにするように思い、そして触れるだけでいい』
 沙夜は、己の右手を見た。『己の気持ちを相手に植え付けることも可能だ』。それが意味する事。沙夜には、実体験があった。『死ね』と思い、相手の精神を『殺した』。それはずっと昔の話。沙夜にとって、一番知られたくない過去。その事実から目を瞑るように右手を閉じ、沙夜は歩き出した。
 難しい事は考える必要はない。ただ、思えばいい。これからもずっと一緒だと。由紀子の笑った顔を想像しながら、沙夜は女性の背に手を触れた。その瞬間、グン! と後ろ側へと引っ張られる感覚が襲う。次に来た感覚は、浮上。そんな感覚に翻弄されていると、背を向けていた女性が振り返った。
「……由紀子さん?」
 その顔は、沙夜の知っている顔ではなかった。
『役目は終えた。戻るぞ』
 急速に体が浮き上がっていく。かと思えば、沙夜はぱちりと目を覚ました。

 沙夜の能力が解放された瞬間、変質した由紀子は意識を失い、それに伴い人影も消えて行った。同時に意識を失った沙夜と共に、砂浜に寝かされる二人。状況は分からないままであるが、それぞれが一息ついていた。ついていないのは、晃とそして櫻の二人だけ。
「これで僕の役目は終えた。契約通り、帰らせてもらうよ」
 晃の言葉に椿は応えない。俯いたまま。無言は肯定だと取り、踵(きびす)を返そうとしたその時である。
「待って」
 櫻が呼び止めた。彼女は、抜身のままだった刀を静かに構える。
「除霊屋は僕に手を出さない。そういう契約のはず」
「そう、なら私は除霊士を辞める。これで、その契約に従う必要はなくなった」
 晃は、肩ごしに櫻を見つめる。櫻は、そんな晃をねめつけていた。
「ずっと探していた。久しぶりと言っても、その反応だと覚えていないみたいね。それなら別にそれでいい。私は、アンタを殺せるならそれでいい」
 晃はこの時、異様な動悸に悩まされていた。表面上は冷静を装っていたが、内心はそれどころではない。目の前の少女を知っている自分と、それを知らないと言い切る自分がいて、ぐちゃぐちゃになっている。どちらが正しいのかは分からない。分からないが、分かったこともある。
 心を締め付けるその思いは、間違いなく『喜び』だ。
 心を震わせるその思いは、間違いなく『恐怖』だ。
 十年振りの兄と妹の再会。片方は殺意を向け、片方は混迷の中に居て、第三者である椿は、『手を出さない』と口にしてしまった以上、晃に干渉できないし、櫻にはどう対応していいのか分からない。沙夜は、いまだ眠りの中。このままでは、櫻の思いを止める者がいない。その結果起こる事は、兄と妹の殺し合いだ。
 張りつめられたこの緊迫とした空気が弾けようとしたその時である。
「阿蛇螺使いの晃を確保せよ」
 全く別の方向から、そんな声が聞こえた。堤防の上に、一人の少女の姿があった。目が醒めるような青い瞳に、美しい青い髪。少し青みを帯びた衣を身に纏った、年の頃は中学生ぐらいに見える、そんな少女。
「……山神の歌巫女!」
 晃が、表情を歪めた。少女の名は、水及。橘家の後見人であり、この櫻町で最も警戒していた相手。
「相変わらず、その不愉快な通り名が定着している事に、憤りを感じるな」
 水及は、姿見からは想像できない不遜な喋り方をする。
「除霊屋は、僕に手を出さない。橘椿とそう契約した」
「そうか。しかし、その契約を私が承認した記憶はない。末端の人間が組んだ契約に、どれほどの重みがある。この私こそが、橘家の最終意思決定権を持っているのだ。そんなくだらない契約は、却下だ。椿、そこの式と櫻を使って、その男を確保せよ。あぁ、櫻、お前にも言っておく。除霊屋を辞めるという先程の言葉な、私は承認していない。まだお前は除霊士だ。私の命令には従ってもらうぞ。従わないというのであれば、それ相応の罰を受けてもらう」
 櫻は、唇を噛みしめる。水及の言葉は、規約的にもそして物理的にも絶対だ。ここで櫻が水及の言葉に従わなかったとしても、水及は実力を持って櫻を制圧する。それには抗えない。櫻だって分かっている。あの人の姿をした水及という化け物に対して、櫻は何一つとして勝つ方法がないという事を。
「阿蛇螺使いの晃、投降しなさい。この状況下で、あなたが逃げられる可能性は万に一つもありません。武器を捨てて、投降しなさい」
 晃は、考えを巡らせる。どうやったら逃げられるのか。しかし、それはすぐに『無理』という結論に至る。リミットを解除して、椿やその式、櫻を打ち倒した所で何の意味がある。結局は、水及には勝てない。水及に勝ったとしても、椿や式、櫻と戦う力が残らない。この場から逃げ出した所で、除霊屋の感応士が晃を逃すはずがない。今の体力では、感応士の索敵範囲からは到底抜け出す事も出来ない。
 つまり、打つ手がない。
 晃は、持っていた刀を放り捨て、全ての武装を解除し、静かに両手を挙げた。

 何合目のぶつかり合いか。もう数えるのが馬鹿らしいほど、ぶつけ合った。勝彦の刀を掻い潜り、鬼神皇は金棒を突きだす。それは鬼神皇にとって、会心の一撃だと自負できるものであった。勝彦は反応できず、左腕が吹っ飛んだ。鬼神皇の暗い笑い。その笑みが、瞬時に驚きへと変わる。
「影主(えいしゅ)っ!」
 吹っ飛んだ腕の代わりに、黒い影が湧いてきて、腕の姿を象る。そして、それはすぐに色を持ち、勝彦の左腕となった。
「こいつ! 人間辞めてやがる!」
 会心の一撃を放てば、その後大きな隙が出来る。勝彦は、渾身の力で鬼神皇に刀を振り下ろした。しかし、また鬼神皇の分厚い障壁に阻まれ、鬼神皇に少しばかりの傷をつけるに留まってしまう。
 勝彦の一撃で後方へと弾き飛ばされた鬼神皇は、態勢を整えつつ、踏み止まった。
「はぁ……馬鹿らしい。ちょっと休憩しようぜ」
 鬼神皇は、金棒を杖代わりにしてそれに寄りかかった。勝彦は、構えを解かない。
 勝彦と鬼神皇の戦いは、お互いに決定打を持たないという形で、膠着(こうちゃく)状態へと陥っていた。
「噂には聞いていたが、本当に『不死身』だったとはな。驚いたぜ。残念ながら、詰みだ。今の俺に、お前を殺しつくすだけの力はねぇ。そして、お前にも俺を殺せるだけの手がない。そういうわけだから、事が終わるまで話でもしてようや」
「道を開ける気はないんだな」
「それはねぇ。無理に通るつもりなら相手をするが、正直無駄だぜ。俺たちの間で、決着はつかない」
 勝彦は、大きな嘆息を吐いて、刀を鞘に収めた。
「それで、お前の本当の目的とやらを話してくれるのか?」
「別にいいぜ」
 あっさりと鬼神皇は、快諾した。
「世の中、壁に耳あり障子に目ありで、内容は抽象的なものになっちまうが、俺の目的は……そうだな、強くなりてぇ、という所か。そのために、晃をお前たちに返す事にしたのさ。ただ、簡単に返すのも面白くねぇから、一芝居打った、そういうことだな」
 鬼神皇は無邪気に笑っている。癪に障ったが、勝彦は我慢した。
「晃を頼む。その代わりに一つ、俺の知っている話をしよう。お前たちは、さっきの強力な霊力の波、それの正体についてはどれぐらい知っている? あぁー、中身についてはどうでもいい。ただ、『知っている』、『知らない』どちらかで答えろ」
「ほとんど『知らない』だ」
 鬼神皇は、にんまりと笑った。鬼であるくせに、随分と表情が豊かな奴だ――勝彦は、そう思った。
「なら、俺の話はお前たちにとっては有益な話だろうな。俺は、あの霊力の持ち主について、心当たりがある。名前は知らない。ただアイツは、『赤き瞳の巫女』と呼ばれていた」
「赤き瞳の巫女……最初の頃にその名前を聞いたな」
「俺を退けた奴の一人だ。もう、千五百年は前の話さ。俺と戦った後、くたばったと聞いたが、どうやら自分の力を後世に継承させる秘術みたいなものを、作っておいたみたいだな。風の噂で、彼女の血を引く者達は、『尼崎』と名乗ったと聞いている」
 驚く勝彦を見て、鬼神皇は満足げである。
「なぜ、橘家は尼崎家を執拗に滅ぼそうとしたのか。そこら辺の事も踏まえて、考えて見れば、見えてくるものがあるかもな」
 鬼神皇は、金棒を持ち上げ左肩に乗せた。
「さて、そろそろいいだろうから、帰るわ。橘勝彦、楽しかったぜ。最後にもう一つ。俺とお前は、ある意味同種かもしれん。じゃぁな」
 鬼神皇は、飛ぶようにして石段を降りて行った。勝彦はそれを追いかけず見送る。大きなため息を吐き、凝った肩を解すため、右肩を回していると報告が入った。
『赤鬼の封印が完了しました』
 なんとか成功したようである。ただ、大変なのはこれからだ。勝彦は、橘家へと戻って行った。

 櫻町を離れた鬼神皇は、大手町の海沿いにある港までやって来ていた。除霊屋の追っ手はない。それはそうだろう。勝彦が倒せなかった彼を追撃しても、無駄な犠牲が増えるだけである。それに、まだ宵の口であったことから、櫻町周辺は大騒ぎになっているため、そちらの対応をするので一杯一杯であろう。
 波の音しかしない港。そこを歩いていると、少し先に人の気配がある事に気付いた。追っ手は来ないはずだと思い込んでいただけに、少しばかり意外な顔をして、鬼神皇は足を止めた。
「俺を追いかけて来るほどの余裕があるのか?」
 馬鹿にしたように言う。しかし、相手は答えず、進んできた。街灯が、追っ手の姿を照らす。その姿を見て、鬼神皇は驚き、慌てて金棒を身構えた。
「げっ! 出やがったな、青芋虫!」
「誰が青芋虫だ。腐ったジャガイモめ」
 青い髪に青い瞳。その正体は、橘家の後継人であり、勝彦の上に位置する存在、水及である。最後の最後に少し顔を出したと報告があったが、まさか追いかけて来るとは思いもしなかった。
「私の可愛い相棒をいじめてくれたみたいだな。殺してやるから、ここで死ね」
「おぉー、こえぇー。一応、人の心があったのだな。しかし、それなら何故介入してこなかった? どうせ、ずっと見ていたんだろう。もしかして、アレか。愛する人がいじめられているのを見て、興奮したの……」
 真横を霊力の塊が横切って行き、背後で凄まじい爆裂音を奏でた。爆風が、鬼神皇の髪をなびかせる。
「……冗談だ。ガチで怒るなよ。それで、何の用だ? 本気で殺しにきたわけじゃないんだろう?」
 鬼神皇は、全く動じてはいなかったが、構えは解かなかった。この水及という女、瞬間湯沸かし器のようなものだ。先程の攻撃のように、キレたら何をするか分からない。
「晃は確かに預かった。それによってお前たちは、橘家を攻撃するだけの理由を得た。これは、宣誓布告だと取っていいのか?」
「……俺は、お前と戦う気はねぇよ。晃には、俺たち側で出来る限りのことをした。これから必要なのは、『人が人であるが故の強さ』という奴だ。だから、託しに来た。それだけだ。まぁ、その出来を見るためにこれからちょっかいをかけるが、全面抗争をするつもりはねぇよ」
「全ての事が終わった時、鬼神皇、お前だけは私が殺す」
「その時は、殺されてやるよ」
 水及は、鬼神皇に背を向け、近くの細道に消えて行った。下がコンクリートである以上、彼女が保有している『道』は使えないのだろう。鬼神皇は、やれやれといった顔で、水及が去っていくのを見つめていた。
「よっぽどあの男の事が大切なのか。妙な所で乙女だから扱いに困るぜ」
 鬼神皇は、港に泊めておいた小型船舶に乗り込んだ。見た目は、普通の船と変わらないが、操縦席の所をごっそりとくり貫いて、そこに特殊機材を詰め込んでいる。船内に入ると、コンピューターに向かっていた分厚い眼鏡をかけた男が、顔を向けて来た。死大王の一人、名前はドクトルGという。鬼神会の保有している技術を開発、管理、運営している男である。
「水及が出て来た時は、『あぁ、これで鬼神皇もくたばったか。ざまぁー』と思っていたのですが、なかなかどうして。まさか、話をするだけで去っていくとは、理解に苦しみますな」
「悪かったな。生きていて。それよりも、『思兼(おもいかね)』の仕上がりはどうだ?」
 ドクトルGは、鬼神会で唯一、鬼神皇を『様』と呼ばない。彼は部下と言うよりも、協力者と言った方がいい立場であること、そして個人的に鬼神皇を恨んでいる事、そんな理由があるためだ。
「ナンバー3ですよ。個体名を付けると、情が湧きますよ。あぁ、鬼に情なんてありませんか。ですよねー」
「思兼の仕上がりはどうだ?」
「上々ですよ。後は、『ジャミング』をテストすれば完成ですね」
 鬼神皇は、部屋の奥に行き、仕切られたカーテンを開けて、さらに奥へ。そこには、多くのディスプレイと電子機器が所狭しと配置してあり、その中央にリクライニングチェアーが設置してあった。そこに、小柄な少女が一人座っている。
「気分はどうだ?」
「問題ありません」
 抑揚のない声で、少女が答える。
「そうか。なら、このまま船の運転を任せる」
「了解しました」
「帰ったら、お前が好きなものをたくさん食べさせてやるからな」
「ありがとうございます」
 そこに喜びはない。鬼神皇は舌打ちをして、ドクトルGの下へと戻った。
「おい! また薬の量を増やしただろう!」
「えぇ、増やしましたが何か。能力を安定させるのに、感情が邪魔でしてね。なんですか、試験体を可愛がって、晃の変わりでも欲しいのですか? なら、牢獄に転がしている適当な試験体をペットにどうぞ。人格プログラムのストックは、瑠璃葉の管轄なので、そっちに言ってくださいね。リアルダッチワイフ、好きな人格をインストールしてお使いください。というのは、売れるかもしれませんね。ふむふむ」
 頭を粉砕してやろうかと思ったが、彼の頭脳は必須だ。それに、彼をこういう性格にしてしまったのは、鬼神皇の行動の結果である。鬼神皇は、ぐっと堪えて空いている椅子にどっかりと座りこんだ。
「さて、もう少しだな。晃が完成すれば、今度こそ……」
 鬼神皇は、可能性を描きながら、静かに瞳を閉じ眠りへと落ちて行った。

 明けて翌日――。
 小泉由紀子は、橘家の一室に寝かされていた。傍には、水及の姿。目が醒めて、再び暴走するようであるならば、水及が再封印する手はずになっていた。
 時刻は、六時を少し回った頃。夏の暑さは、朝の涼しさをあっという間に塗り替えてしまう。すでにじんわりと熱い。その暑さが、由紀子の覚醒を促したのか、小さな吐息を零し、身を捩る。水及はそれを聞いて、閉じていた瞳を開いた。
「目が醒めましたか?」
 いつもの尊大で古臭い韻を踏む話し方ではなく、丁寧で優しい声音。水及の猫かぶりモードである。
「暑い……」
 由紀子はそう呟き、そして水及の方を見た。まだ本覚醒ではないため、ぼんやりとした顔で水及の顔を見ている。
「青い髪……青い瞳……山神の歌……み……こ?」
 途端に目を大きく開いた由紀子は、勢いよく起き上がり、反対側の壁まで逃げて行った。怯えている。水及はもう一つ気づいた。本来黒である瞳の色が、まだ赤であることに。
「どうして、ここに水及が! 月子(つきね)! 月子!」
 周りをきょろきょろしながら、由紀子は名前を呼ぶ。月子とは、尼崎月子のことであろうか。尼崎月子は、十年前の『尼崎家の崩壊』の現場に居ながら生き残った二人のうちの一人。今は、誰もいなくなった尼崎家の本家を一人で管理している。
 呆気にとられていた水及は、その声で我に返った。
「……問います。あなたは誰ですか?」
 由紀子は、じっと水及を睨みつけている。
「尼崎茜(あかね)、です。お初にお目にかかります、水及……様。一体、私に何用ですか?」
 小泉由紀子。それは、後から付けた偽名である。しかし、彼女は『尼崎茜』だと言う。それは彼女の本名ではない。小泉由紀子の本名は、尼崎『雪子(ゆきね)』だ。だから、『由紀子』と漢字を変えたのだ。
「これはどういうこと……?」
 驚く水及。その水及を睨みつける――尼崎茜と名乗る、小泉由紀子。

 一方、橘家の地下では拘束された晃の姿があった。彼のデータを取るため、朝から様々な医療機械が、地下に運び込まれ、セッティングが進んでいる。

 膨大な事後処理に追われる日々が、始まろうとしていた。

 END

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