堕天王の逝く道

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zoom RSS 空白ノ翼第七章『覚醒予兆』 第二話『覚醒予兆前編』 その2

<<   作成日時 : 2011/12/24 20:58   >>

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 暗い路地。場所としては、商店街の裏側になる。滅多に人も通らないそこに、オレンジ色の髪を短く切ったチャイナドレスを身に纏った小柄な少女が、座っていた。その視線の先には、黒い髪を長く伸ばした少女の姿があった。その瞳の色は、真紅。静かに闇夜を見上げている。
「本当に宜(よろ)しいのですか?」
 小柄な少女の問いに、真紅の瞳の少女は小柄な少女へと視線を向けた。
「……辛いのですね。でも、あなたの存在を今知られるわけにはいきませんから。幸いにも、力強い味方が傍にいる。きっと、何事もなく終わるわ」
 その言葉が締めくくられた直後、物凄く強い霊力の波と、雲天を貫く赤い柱が姿を現した。小柄な少女は、その赤い柱を驚いた顔で見上げ、真紅の瞳の少女は諦めたように瞳を閉じた。
「意外とナイトさんも役立たずだったようですね。橙(たう)、あなたは状況を見定め、可能ならば雪子(ゆきね)を救出してください。ここであの子を失うわけにはいかない。どんな犠牲を支払ってでも」
 真紅の瞳の少女の姿が、霞のように消える。橙と呼ばれた小柄な少女は、静かに頭(こうべ)を垂れ、『御意』とだけ答えた。

 最初は、櫻町で戦闘が起こったという情報が入ったが、櫻町で起こった以上、橘家の動きを待つしかないと静観するつもりだった、水無月(みなづき)家。除霊屋である。しかし、変質した由紀子が放出した巨大な霊力が感知され、一瞬で慌ただしくなった。
 当主の執務室にいた、水無月家の当主直久(なおひさ)。屋敷全体に、緊急事態を伝えるサイレンが鳴る中、携帯電話で会話をしながら、水無月家の作戦室へと走った。電話の相手は、橘家の当主勝彦である。
「分かりました。では、水無月家で作戦を管轄します」
 携帯電話を切り、作戦室へと入る。入口は襖(ふすま)であるが、室内はフローリング。手前に、五台一列、それが二列。パソコンが並んでおり、部屋の奥には大きなスクリーンと、何台ものモニターが天井からぶら下がっている。中央には、リクライニングチェアーが鎮座しており、そのリクライニングチェアーの周囲には、扇状に展開されたコンソール。二人の女性がコンソールに向き合い、一人の少女が今まさにそのリクライニングチェアーに腰掛けようとしている所だった、
「香月(かつき)! 水無月家がメインで行く!」
 少女――水無月家が保有する感応士、七宮(ななみや)香月は、驚きで目を瞬(しばた)かせている。
「わ、私がメインですか?!」
「小泉家の当主が動けない。槇美(まきび)さんとリンクして、情報をかき集めろ!」
「は、はい!」
 槇美とは、小泉家が保有している感応士の事である。そんな当主と香月の会話を聞いて、髪を全て逆立ちにさせている青年が、直久に尋ねた。
「香月ちゃんがメインって、まさか今回俺たち裏方っすかぁ?」
 青年の名前は、水無月烈(れつ)。直久の長男である。
「そうだ。実働隊は、全て小泉家が請け負うことになった」
「げっ! 俺、裏方苦手なのに。あぁー、オペレーターとか、超鬱陶しいわぁー」
 烈はうんざりとした顔をしている。
「グチグチ言ってないで、手を動かせ! あぁ、ここ配線違う! 烈、これここに差し込んだの、アンタでしょ?! とりあえず、死ね!」
 肩にかかる程度の髪型のきりりとした女性が、烈を言葉で責める。彼女の名は、水無月海(かい)。直久の長女であり、烈の姉である。
「姉さん、そこも違うよ。隣だよ」
「あれ? そうだっけ?」
 静かに指摘している、か細い印象を与える少年。彼が、末っ子の徹(とおる)である。
「システム起動しました。槇美さまとリンクします」
「海! 映像が来てないぞ!」
「今繋いでいる!」
 直久に言われて、海も大慌てである。
「まったく、普段から使い慣れていないとはいえ、ここまで練度が落ちているとはな。対策を考えなければ」
 そう愚痴っていると、一番奥のスクリーンに櫻町の地図が表示された。高低差や面積も記された、立体的な櫻町の地図である。
「よし。香月、槇美さんと接続できたか?」
「はい。リンク成功しました。情報、吐き出します! オペレーターの皆さん、整理お願いします!」
 次の瞬間、リクライニングチェアーの周りにある全てのモニターに様々な情報が一斉に表示された。霊力の出力や形質。由紀子たちの現在位置。風向きや湿度などの天候情報。さらに、リアルタイムの映像まで表示されている。映像は、小泉家が所持しているカメラを持った式が、上空から撮っているものだ。
「赤鬼(せっき)が放った力。香月、どうだ? 何か分かったか?」
 赤鬼は、由紀子を示す除霊屋で使われているコードだ。
「十年前、先代の赤鬼が発生させたものとほぼ同質のものです。能力を暴走させたとみて、間違いありません」
 直久に一番近いモニターに、十年前のデータと今のデータが表示される。
「やはり、暴走か。余計な事をしてくれた馬鹿の正体は?」
「照合できました! 鬼神会所属、死大王(しだいおう)の一人である阿蛇螺(あじゃら)使いの晃と一致!」
 鬼神会。それは、主に日本で活動している犯罪組織である。誘拐や強奪、時には暗殺にも関わり、さらに各地で妖を発生させ除霊屋を混乱させている――そんな連中だ。そして、死大王とはその鬼神会の幹部の総称である。
「鬼神会の死大王だと?! 狙いは、氷女沙夜か。だから、あれほど隔離しろと進言したのだ……! 水及(みなの)様は、動いているのか?」
「分かりません! 歌宝山(かほうざん)には居ないみたいです」
「ちっ、相変わらず信用できない人だ」
「あっ……あぁ!」
 その時、香月が大きな声を上げた。
「どうした?!」
「……鬼神会首領、鬼神皇と一致!」
 続いて小泉家の式が捉えた映像が飛び込んできた。Tシャツにジーパンと言う、どこか野暮ったいイメージが与える男が映っている。それが鬼だと言われても、正直判別がつかないほど、人間そのものの姿をしていた。
「鬼神皇……!」
「現在位置、橘家の前です!」
「勝彦様にすぐに知らせろ!」
 直久は、奥歯をギリリと鳴らした。
「何故、鬼神皇が……橘家を滅ぼすつもりなのか?」
 由紀子の暴走だけでも一大事というこの状況下で、鬼神皇の出現。状況は、一層の混迷を極めていた。

 ほぼ同刻、橘家では――。
 橘家の当主、勝彦。勝彦の孫娘、椿。両名が、揃って家を出る所であった。櫻町には、除霊屋の小泉家に所属している除霊士が何人も生活している。そんな彼らから、氷女沙夜が襲われているという一報を受け、援軍として椿を派遣しようとした矢先、続けて由紀子の力の暴走を感知することとなった。
 橘家の真下で戦闘が行われている以上、もっとも近い橘家が対応すべきである。そのため、指揮権を水無月家に移管し、勝彦も椿と共に出撃することになった。
 直久との電話を終え、椿と共に家を出る。境内(けいだい)を走り抜け、鳥居を潜り、長い石段へと差し掛かった時である。
「椿、待て!」
 勝彦が、椿を制止した。石段の下から、一人の男が登って来ていたからだ。
「とうりゃんせ、とうりゃんせっと。ここはどこの細道じゃっと。天神さまの細道じゃ」
 男が、足を止めて顔を上げた。淀んだ黒い瞳を細め、不敵な笑みを浮かべた薄気味の悪い男。その時、勝彦の携帯電話が鳴った。勝彦は、決して男から視線を逸らさず、電話を取る。
「どうした?」
『橘家の石段に、鬼神会の首領鬼神皇を確認しています!』
 女性の声が響く。水無月家でオペレーターをしている人の声であろう。
「今、目視している」
 勝彦は電話を切る。
「椿、先に行け」
 椿は、勝彦を見て、男――鬼神皇を見て、それから鬼神皇を警戒しながら、その脇を走り降りて行った。鬼神皇はそんな椿を一瞥することもなく、勝彦を見つめている。
「初めましてだな、橘家の当主、勝彦」
「そうだな。鬼神会首領、鬼神皇」
 勝彦は腰を少し沈め、刀に手を添える。
「で、一体ここに何をしに来た?」
「さっき言っただろう? とうりゃんせって。お前に介入されると、こっちの計画もご破算でね。しばらくここで俺と遊んでもらおうと思っているんだ」
「そうか。なら丁度いい。ついでに命も落としていってもらおうか」
「くくくっ……そこまでやっちゃう? 別にいいけどさ、それなら精々死なないように頑張れよ。うっかり殺してしまったら、水及の相手もしないといけなくなるだろうからさ!」
 踏み込む勝彦。抜刀と共に、鬼神皇に斬りかかる。解き放たれた刃。鬼神皇は、いつから持っていたのか、無骨な金棒でその一撃を受け止める。吹き荒れる力の波。鬼神皇の背後の石段が、勝彦の剣気で割れる。
「うらぁ!!」
 鬼神皇は力任せに金棒を振るい、勝彦を弾き飛ばそうとする。しかし勝彦は、刀を引いて、後ろへと飛び下がる。そして、合間を抜かずに斬り込んだ。
 ――ちっ、やっぱり横には飛ばねぇか。
 鬼神皇の一撃は、勝彦を真横に吹き飛ばそうとしたものだった。二人の戦いの舞台は、石段。上にいるものが、圧倒的に有利である。鬼神皇としては、なんとしてでも勝彦を真横か、可能ならば真下に叩き落としたい所。しかし、勝彦もその辺りの事を十分熟知している。そのため、鬼神皇の一撃を後方へと下がってやり過ごしたのだ。
「影主(えいしゅ)!」
 三合目。突然勝彦が叫んだ。不審な顔をする鬼神皇。その背後からにゅ〜と伸び出て来た、黒い影。人型をしてはいるが、はっきりしているのは、頭と手があるという事ぐらい。ただただ黒い、人っぽい形をした『何か』。厚みもなく、ペラペラである。
 影主。その正体は、勝彦の影の中に住まう妖である。
「な、なんだぁ?!」
 手を大きく伸ばし、それを鬼神皇の体に絡めていく。自由を奪われる鬼神皇。勝彦はその合間に、己の全霊力を刀に込めて、渾身の力で大上段から鬼神皇に刀を振り下ろした。しかし、勝彦の刀は鬼神皇には届かなかった。
 凄まじい爆音。勝彦の刀は、鬼神皇が展開した透明な障壁に塞がれていた。勝彦はさらに踏み込み、刀を振り抜く。鬼神皇は吹き飛ばされ――るが、倒れることなく踏みとどまった。その額には、縦一本まっすぐに切創があるのみ。滴る人と同じ赤い血が、鼻筋を通って、口角へと滑っていく。勝彦は、表情を変えてはいなかったが、刀を左手に持ち変え、右手をプラプラと振っていた。その勝彦の背後に、鬼神皇から離れた影主が、にゅ〜と姿を現す。
「馬鹿固い奴だな」
「俺に傷をつけるとは。大した男だ。人の身でありながら、ここまで至るか。しかし、橘家の当主と言うのだから、もう少し圧倒的な力を見せてくれると思ったんだがな。やはり、あの女だけは別物だったんだな」
「……かつてお前の右手を切り落とした、橘家の椿の事を言っているのか?」
 名前は同じだが、勝彦の孫の椿とは別人である。鬼神皇が言っているのは、四百年ほど前、この橘家で除霊士をしていた椿という少女の事。現代の椿の前世にあたる。彼女は、除霊屋業界では名を知らぬ者はいないほど、有名な人。人の身でありながら、神をも超える力を持っていたと言われている、有史以来最強の除霊士である。
「そいつの事だよ。アイツは強かったなぁ。俺が戦った中で、アイツだけは別格だった。この俺が相対した瞬間、『負ける』と思ったのはアイツだけだ。かつて、俺に恐怖を抱かせることが出来たのは、三人だけ。赤き瞳の巫女、山神の歌巫女、そして橘家の椿。お前は、俺に恐怖を与える事が出来るか?」
 滴って来た血を指で掬い、鬼神皇は五本の指を少しだけ折って手の内を上へと向け、勝彦に向かって突き出す。
 勝彦は、鬼神皇の言葉に答えなかった。鬼神皇の言葉に、興味がなかったからだ。鬼神皇は倒さなければならない敵。人類の敵なのだ。何が目的でノコノコ現れたのか、それは分からない。だが、今は千載一遇のチャンス。ここで鬼神皇を倒し、これから彼が発生させていくであろう、多くの絶望を未然に防ぐ。そのために、勝彦は己の全ての命を、投げ出す覚悟をした。
 一端、刀を鞘に収め、勝彦は石段を駆け下りる。鬼神皇は相変わらず不敵な笑みを浮かべたまま、そんな勝彦を迎え撃った。

 櫻は、目を覚ました。ねっとりと纏わりつくような熱気に辟易(へきえき)としつつ、額に張り付いた髪をかき上げる。
「くっ……」
「おっと、起きましたか」
 目覚めた櫻に声をかける少女。縦巻きロールと言う、奇抜な髪形をしたきりりとした美しい人だ。
「……美希副長?」
 小泉美希。小泉家が保有している実働部隊の副長である。櫻は、体を起こす。場所は変わっていない。晃の姿も沙夜の姿もない。
「倒れていたから、死んでいるかと思いましたわ」
 美希は、心配そうに言う。
「行かないと……!」
 櫻は、まだ痺れが残る体に鞭を打って、立ち上がった。こんな所でのんびりしているわけにはいかない。どうしてもやらないといけない事がある――櫻の強い思いに、体は応えてくれた。そんな櫻に、美希が一本の刀を差し出した。
「私の刀、貸してあげますわ。残念ながら、今の私は避難誘導係り。これから嗅ぎつけたマスコミに恫喝して、言う事を聞かない人を引っ叩く仕事がありますの。でも、さすがに刀は必要ありませんわ」
「……感謝します」
 刀を受け取ろうとしたが、美希は手を離さなかった。不思議に思う櫻。美希は、そんな櫻の方を見ないまま、語る。
「あなたたちを襲ったのは、鬼神会の死大王の一人、阿蛇螺使いの晃。橘家の前では、鬼神会首領の鬼神皇と勝彦様が戦っていらっしゃる。さらに、『赤鬼』の軛が解放され、暴走状態に陥りました。今、ここはまさしく戦場ですわ」
 少し気絶していた間に、状況が大きく変わっていたことを知る。しかし、そんな事は今は関係ない。櫻には果たさなければならない事がある。その事に比べたら、他の事象は些細な事でしかない。
 美希が、櫻の方へと振り向いた。静かな輝きを帯びる冷たい瞳。それが、櫻のそんな心情を見抜いているようで、思わず唾を飲んだ。
「阿蛇螺使いの晃は、櫻さんのお兄さんですね」
 刀を握る櫻の手が強く震えた。それが答え。美希の言葉は、憶測に基づいたものでしかなかった。十年前の藤堂一家惨殺事件のあらましは美希も知っている。むしろ、除霊屋に属する人で、知らない人はいないはずだ。そして、櫻がその生き残りであり、兄の晃が行方不明であり、事件の実行犯であったこと――そのことについても。晃が、事件の後、鬼神皇に連れて行かれたことも分かっていた。そのため、『阿蛇螺使いの晃』なる少年が確認された時、『もしかしたら』という思いを皆抱いていた。櫻の動揺は、それが真実であったと、如実に表す形となった。
「もし、本業を忘れて復讐に励まれるのであれば、櫻さんにはここで私の相手でもしてもらいます。たまには、あなたと一騎打ちというのもいい。どちらにしても、いつかはどちらが上か、きっちりと白黒つけてやりたいと思っておりましたし」
 その後すぐに、美希は手を離した。力を込めていたため、櫻はよたよたと後ろへと下がった。
「なんて冗談です。私もそれほど暇ではありませんし。ただ、櫻さん。私が大っ嫌いでたまらない、小憎たらしいライバルの椿は、あなたの事を本当に本当に大切に思っていましてよ。復讐、それは大いに結構。でも、それは今するべきこと? 私の刀は、私の大切な人を守るために振るってきましたの。道具は人を選べない。私の刀を、泣かせるようなことはしないでもらいたいものですわ」
 櫻は、美希の言葉から逃げるように背を向けた。刀を胸に抱き、とにかく走った。何も考えず、何も思わず、走る――走る――走り続けた。
「私はね、いつか本当のあなたと剣を交えたいと思っていましてよ」
 美希は、櫻の去った後、ぼそりとそう呟いていた。

 執拗に圧倒的な力を振るう、変質した由紀子。それから逃げ回る少年――阿蛇螺使いの晃。そして、合流した櫻は、問答無用で晃に斬りかかっていた。変質した由紀子は、明らかに我を失っているにも関わらず、晃しか狙ってこない。状況は、二対一。晃はさらに、沙夜という荷物持ちである。
「……タイムリミット」
 これ以上の時間のロスは、沙夜の確保どころか己の命も危うい。そう判断した晃は、変質した由紀子の炎が纏った右手を大きく後ろに跳んで避けると、背負っていた沙夜を夜空に向かって放り投げた。
「ほえっーーーー!!」
 沙夜の間の抜けた声が響く。追撃に踏み込もうとした櫻は、たたらを踏んで夜空を見上げた。
「なんてことを!」
 晃を追撃する事よりも、沙夜を助けることが上回った。刀を地面に突き刺し、落下してきた櫻を抱き止める。
「さ、櫻さぁ〜ん!」
 沙夜は、櫻に抱かれると途端に大粒の涙を流してしがみ付いてきた。安堵しきった櫻の顔。その直後、凄まじい爆音が響き渡った。晃が、地面に向かって己の両腕を叩きつけて、アスファルトを粉砕したのだ。巻き上がる土煙。変質した由紀子は、戸惑うこともなくその土煙の中に突っ込んで行った。ようやく石段から降りてきた椿が、土煙を見つめつつ、櫻の傍へと走り寄って来た。
「無事ですか? 櫻」
「はい、私も沙夜も無事です」
 続いて、中性的な容姿の青年が、櫻たちの下へと走り寄って来た。小泉章吾(しょうご)――由紀子の兄である。
「椿! 由紀子は?!」
「晃を追いかけたようです。って、章吾さん、単身で追いかけるなんて無謀です!」
 踵(きびす)を返して、土煙の方へと向かおうとした章吾の服を掴み止める。そんな椿の手を、章吾は強く払った。
「僕の妹なんだぞ!」
「そんなことは分かっています! 一人で突っ込んで、それでどうにかなるほど、章吾さんは強くないでしょ?! こんな時に、自殺なんて迷惑です!」
 椿に圧倒されて、章吾は言葉を詰まらせた。短く『くそっ!』と吐き捨てた後、章吾はようやく動きを止めた。
「櫻は、氷女さんを由紀子さんの家まで護送してください。これは……」
「私にも、私のすべきことぐらい見えています」
 意外に素直に聞き入れた櫻に、椿は驚きを隠せずにいた。そんな櫻に抱かれていた沙夜が、顔を上げた。櫻の服をしっかりと掴み、不安に揺れる瞳の中に櫻の姿を映しこむ。
「櫻さん、由紀子さんはどうしてしまったんですか?」
「それは……」
 櫻は言い淀んだ。
「由紀子さんは、元に戻るんですか?」
「元に戻してみせます」
 答えたのは椿だった。彼女の瞳には、決意が充ちていた。
「由紀子さんの身に何が起こったのか、それは沙夜さんにも教える事が出来ません。なぜなら、私たちにも全ては分からないからです。ただ、元に戻せた前例があります。それを信じて、私たちはこれから由紀子さんを元に戻すための作戦を実行に移します」
 そこで椿は、章吾へと顔を向けた。
「章吾さん、由紀子さんを術式で封印することは可能ですか?」
「分からない。残念ながら、僕は『赤鬼』のメカニズムを知らないからね。それが出来るのは、多分水及様だけだ。でも、由紀子の動きを括(くく)る事ぐらいなら、僕にもできる」
「どうせ水及様は、どこかから現状を見ていらっしゃるはず。私がバックアップします。由紀子さんを捕まえましょう」
 椿は、携帯電話を取り出し、水無月家にかけた。
「あ、徹ですか? 晃と由紀子さんの現在位置のデータをこちらに寄越してください。私と章吾さんで、由紀子さんの動きを止めます」
『ちょっと待って。データは回すけど、作戦の承認は当主じゃないと。繋ぐね』
『直久だ。話は聞いていた。作戦を承認する』
「そちらで、水及様とコンタクトは取れますか? 章吾さんでも、封印までは難しいと話で、水及様の協力を仰ぎたいのですが」
『はぁ、すまない。こちらでも、まだ捕捉出来ていない。そちらの作戦が終わるまでには、なんとか見つけてみせる』
「分かりました。では、私と章吾さん、二名で『赤鬼』を封縛します」
 会話が終了したと同時に、携帯電話に晃と由紀子の現在位置が転送されてきた。二人は、大木公園に丁度入る所であった。
「章吾さん、作戦が承認されました。由紀子さんを、なんとしてでも助けましょう!」
「あぁ!」
 椿の意気込みに、章吾が応える。
「櫻、あなたのお兄さんの事は、私なりに努力するから」
 本当なら、『なんとかする』と豪語したかった。しかし、それが出来るという確証がどこにもない。中途半端な言葉は、櫻を失望させるだけ。だから、椿は正直にそう言った。
「……沙夜を小泉家に届けたら、私も向かいます。その時は、私は私の本願を果たす事のみを考えます」
「変な遠慮もなくてよろしい。櫻は、そんな風に自分に素直であるべきよ。どうせ、感情を隠すの、下手なんだから。それから、沙夜さん。少し待っていてください。由紀子さんは、必ず連れて帰りますから」
 沙夜は、小さく頷いた。
 椿は、章吾と共に晃と由紀子の後を追いかけ、櫻は沙夜を抱えて、小泉家――由紀子の家に向かった。

 大振りの一撃を、後ろに跳び下がって避ける。掻い潜って反撃できればいいのだろうが、どうしても恐怖が先に立ってしまう。
 晃が呼び出した人型。それと戦う、死神さん。沙夜を襲うこの世ならざるモノと戦ってきた死神さんであるが、沙夜を襲う存在は基本的に不定型なものが多かった。この世から隔絶され、生きている人間に言葉を届ける事が出来ないモノたち。それらは、沙夜の能力を経由することで、この世に干渉することを望んだ。しかし今回の相手は、しっかりと形を得たモノ。勝手が違うため、死神さんは完全に防戦一方となっていた。
『私は、こんなのにも勝てないのか……!』
 苛立ち、焦燥。鎌を振るおうとしても、間合いが分からない。丸太のような両腕を避けるだけで、今の死神さんには精一杯だった。そんな折であった。
「あ、なんか戦っている。えっと……どっちも敵?」
 腰まである長い髪に、ダークブルーの瞳の女性が、商店街側からやって来た。状況が分からない第三者からすると、得体の知れない光り輝く人型と死神さんの戦いは、妖怪の仲間割れか何かだと思われても仕方がない程、不気味なものであった。
「情報によると、死神っぽいのは敵じゃないっと。なら、人型を倒せばいいのか」
 携帯電話をいじりながら独り言をぼそぼそ。死神さんはその姿を見て、その女性が除霊屋の人間であると確信――というよりかは、そう思い込むことにした。
 人型の攻撃を避け、女性の傍まで下がる。女性は、人懐っこい笑みを浮かべていた。
「苦戦しているみたいね。私が来たからには、もう大丈夫よ」
『なら、お前に任せた』
 死神さんはそう残して、霞のようにその姿を消した。驚く、女性一人を残して。
「えっ?」
 目的が、死神から女性に変わろうが、人型には関係ないようである。走り寄って来た人型は、問答無用で女性に向かって右腕を振り下ろしてきた。
「ぬわぁー!」
 慌ててそれを後ろに下がって避ける。
「ちょっと! あの野郎、人に押し付けやがって! 私は魔法使いなんだから、前衛が居なかったら話になんないのよ!」
 女性――沢村遙(はるか)は、もういなくなった死神さんに対する悪態を大声で叫んだ。

 すんなりと小泉家に辿り着いた沙夜と櫻。沙夜の足が遅いため、終始櫻が抱えて運んだ。小泉家のリビングに行くと、床に付くほどまで伸ばされた髪の女性が一人座っていた。小泉家当主、透子である。沙夜と櫻に、優しい笑みを浮かべた。
「橘櫻、ただいま到着いたしました」
「お疲れ様。ご無事で何よりです」
 沙夜を降ろす。沙夜は、深々と透子に頭を下げた。
「災難でしたわね。櫻町を守護する私たちの不手際です。本当にごめんなさい」
「あの、それは大丈夫です」
 由紀子の事を聞いてみたいと思った。なぜ、彼女があんなことになってしまったのか。小泉由紀子は、平々凡々としたオカルトが好きな女子高生だった。そんな彼女が、いきなり姿見はそのままで、中身は化け物みたいになってしまった。あまりにも突飛な事過ぎて、理解が追いつかないほどである。しかし、沙夜は言葉を飲み込んだ。椿が言っていた。『私たちにも分からない』――そう言っていたからだ。
「では、私はこれで」
 部屋を出て行こうとする櫻。
「櫻さん!」
 沙夜が慌てて呼び止めた。櫻は、背中を向けたまま顔だけ向けた。
「お兄さんを殺しに行くの?」
 櫻に抱えられて運ばれている内に、考えをまとめる事が出来た。見たことのない少年。それなのに見覚えがあったこと。それは、沙夜の記憶にはなかったというだけの話であった。櫻の過去を追体験した時に見た少年。その事を思い出した時、見たことない少年と似ている事に気付いたのだ。なら、櫻がやる事は一つだけ。そう、『復讐』だ。彼女は、そのためだけに今まで生きてきたのだと、沙夜に語っていた。
「両親の無念を終わらせる。私はアイツを斬って、未来を手に入れる」
「未来……」
「沙夜、今までありがとう」
 櫻は、微笑んだ。びっくりするぐらい晴れ晴れしく、そして優しく。その言葉は、どう聞いてもお別れの言葉。櫻を止めなければ――しかし、どうやって。十年も抱えてきた思い。沙夜は、所詮五月からの付き合いでしかない。たったの三ヶ月。年月では太刀打ちできない。
 櫻が行ってしまう――その時である。テーブルに置いてあった携帯電話が鳴りだした。電話に出た透子の表情が、驚き、そして諦念(ていねん)へと変わった。
「……分かったわ。とりあえず、阿蛇螺使いの晃を逃がさないようにしてください。次の対策は、こちらで考えるから」
 櫻も足を止めて、透子の動向を窺っている。透子は携帯電話を切ると、これは困ったことになった――そんな苦笑をして見せた。
「封印どころか、捕縛するのにも失敗しちゃったみたい」
 由紀子の捕縛は、失敗に終わった。櫻もこれを聞いたからには、動きが取れないでいるようだった。どうしようもない重たい空気が積もり出したその時、沙夜の体から件の死神が湧いて出て来た。
『沙夜が望むのであれば、方法はある』
「死神さん」
 沙夜も目を瞬かせる。透子は、落ち着いた表情でそんな死神さんを見つめていた。
「あなたが報告にあった存在ね」
「由紀子さんを元に戻すことが、私に出来るの?」
『沙夜が望むのであれば』
「望むよ! 私、元に戻せるなら、この力、使いこなして見せる!」
 沙夜の決意のこもった瞳。死神さんは、透子の方へと顔を向けた。
『小泉由紀子の封印は、沙夜の能力で可能。ただ、条件がある。沙夜が能力を行使するにあたって、その現象の全てを見なかったことにする』
「何も詮索もせず、データ取りも許さない。そういうことですか?」
『あなた達は、沙夜に鎮めの契りを与えてくれた。その事には感謝している。だからこそ、それ以上の関心を沙夜に向けないでもらいたい』
「あなたは、沙夜ちゃんを守るナイトなのですね。それぐらいのこと、容易いことです。ただ、本当に今の由紀子を元に戻す事が出来るの?」
『結果が示してくれる』
 透子は、難しい顔をしているが、最終的には『承認いたします』と答えた。死神さんの言葉を信じるには情報がなさ過ぎる。しかし、それ以上の案がないのも現状。万策尽きたとなれば、橘家から命令が来てしまう。『由紀子の抹殺処分』という最悪な命令が。
 由紀子を預かり、愛を注いできた。しかし、心のどこかでいつかそんな日が来るのではないか――そう怯えていた。由紀子を失わずに済むのであれば、それに縋るしかない。透子には、死神さんの掲示する作戦を受け入れる他なかった。
「櫻さん、二人を護衛してください。これは、お願いになりますけどね」
 沙夜と死神さんが、櫻の方へと顔を向けた。縋るような沙夜の表情。櫻は、仕方ないといった風に嘆息を吐いた。
「分かりました。由紀子さんの暴走が止まってくれた方が、私としても集中できますから」
「櫻さん!」
 沙夜が櫻の腕に飛びつく。櫻は、困った風に笑っていた。
「ふ、封印が終わるまでだ。後は、沙夜でも止められないからな!」
 どこか微笑ましい二人の姿。透子は、そんな二人から携帯電話へと視線を戻し、章吾へとかけた。
「新しい作戦を伝えます」
 由紀子の封印を成すために。
 晃への復讐を成すために。
 沙夜を基軸とした作戦が、始まろうとしていた――。

 第二話 END

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