堕天王の逝く道

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zoom RSS 空白ノ翼第六章 後日談

<<   作成日時 : 2011/09/03 08:58   >>

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ようやく完成しましたので、公開いたします。


概要
いつも通り、記憶喪失の主人公神山聡にまつわる話。第六章で、櫻町に帰郷してきた刈谷恭介。その恭介が、京都へと帰った後のお話。
祖父の危篤、そして葬式のために帰郷していた鏑木郁子と偶然鉢合わせ、結果的に記憶喪失であることを明かしてしまった聡。郁子は、幼馴染の斎と同じで、古くから付き合いのある友人の一人であった。そんな郁子が、聡と斎と酒を飲んでいる時に、記憶喪失になった聡への斎の対応に文句を付けた。

「私は、姉さんのやり方には納得していません!」

斎と郁子が揉めている間に、聡は聡で考える。聡の古い知人は、後何人か残っている。斎は、依然として記憶喪失であることを隠し通すつもり。郁子は、そんな残っている知人にも記憶喪失であることを明かすべきだと主張する。

言うべきなのか。
言わないでおくべきなのか。

そんな葛藤の中、聡が出した答え。

「皆に話そう」

今回のお話は、そんな経緯で催されることになった小さな同窓会のお話です。


空白ノ翼については、
空白ノ翼の説明書 http://47762756.at.webry.info/201105/article_6.html
をご覧ください。

前の話、第六章などは、http://47762756.at.webry.info/theme/6e16817afc.html


空白ノ翼第六章 後日談『俺たちの同窓会』

 8月7日
 後輩の刈谷恭介が京都へと帰って行った次の日の夜。神山聡(かみやまさとし)は駅前の行きつけの居酒屋で、幼馴染の坂田斎(いつき)と、古くからの付き合いである鏑木(かぶらぎ)郁子と共に飲んでいた。というよりかは、ほぼ一方的に絡まれているような様相ではあった。
 神山聡は、記憶を喪失している。今年の四月からの記憶しか彼にはない。それ以前の記憶は、全て忘却の彼方。覚えていたのは名前だけで、手掛かりとなるのは左の薬指にはまるプラチナの指輪のみ。いわゆる、『全生活史健忘』と呼ばれる症状に似ているが、全生活史健忘と違って、聡はいまだ自分の名前しか思い出せていない。彼の記憶は、坂田斎というフィルターを通した、『知識』でしかなかった。
 それでも神山聡は、記憶がないならないなりに、生活をしていた。彼をサポートしてくれている存在もある事から、今は就職先も見つかり、安定している。そんな彼が偶然遭遇したのが、祖父の死で帰郷していた鏑木郁子だった。鏑木郁子は、幼少の時から聡が櫻(さくら)町を離れるまで、一緒に遊んでいた仲であり、彼女自身聡を随分と慕っていたようであった。そのため、聡が記憶喪失であることを知るや否や、『アンタなんか、神山聡じゃない!!』と全否定してきた。斎の助言を得て、なんとか説得して、郁子も今は彼を受け入れることができていた。
 今日の飲み会は、そんな郁子を交えた小さな同窓会のような趣(おもむき)であった。
「私は、姉さんのやり方には納得していません!」
 ある程度食事を食べながら一杯目の酒を飲む、序盤。食べ物が減っていき、酒が重点化していく中盤。そして、食べ物が枯渇し、酒のみでグダグダと粘る後半。その分類で行くと、後半に差し掛かった頃、今まで割と和やかな雰囲気だった所に郁子が、石を投擲(とうてき)した。
 石を投げられたのは、斎である。郁子は、斎を気分で様々な呼び方をする。今は、『姉さん』というのが、斎を指し示していた。
「はぁ?」
 焼酎のロックを片手に、斎は郁子をねめつける。元々、眼光が鋭い彼女であるが、今や完全に人を殺せそうな目をしていた。郁子も酔っているので、そんな瞳を向けられても、全く動じないようである。聡だけ、何かいけない空気を感じて、体を二人から少しでも遠くにやろうと努める。しかし、ここはボックス席で、聡は奥に追いやられている。入口は、斎が占拠しているので、少し下がった所で逃げ道はどちらにしてもない。
「姉さんは、私の聡さんを独り占めにしています! 独占禁止法に抵触しています!」
 残っていたキュウリを箸でつまみ、それを斎に突きつける。その行為に、何の意味があるのか、きっと郁子にも分かっていないのだろう。
「何を言い出すかと思えば。意味が分からないし」
 斎は、露骨に馬鹿にしたように笑っている。
「記憶喪失の事を内密にして、帰って来た事をずっと伏せていた。皆、聡さんのことを心配していたのに、一人だけ聡さんと会っていたなんて、そんなのはずるっこです!」
「それについては、まぁ……悪いとは思っていたけど、皆の事、聡自身の事を考えたら、内密にしておくことが最善だった。皆に会うのは、記憶が戻ってからでもいいって、そう思ったの」
「記憶が戻ってからって、記憶が戻る保証は誰がしたんですか? 十年後かもしれない、二十年後かもしれない、死ぬまで戻らないかもしれない! ずっと、会わせないってことだったんですか?!」
「まだ半年も経っていない! 戻らなければその時はその時で考えるつもりだった! そんなこと、郁子に言われなくても、分かっている!」
「そんな曖昧な感じで、先延ばしにされて、私たちの気持ちはどうなるの!? 聡さんの事を思い出す度に、胸が苦しくなって、会いたくなって……それがどれだけ辛いか、一番知っているのは、姉さんだよね?! どうして私たちの気持ちを踏みにじるようなことするの?! 分かんないよ!」
 感情の昂ぶりで酒の周りが良くなったのか、顔を真っ赤にして、さらに涙を溜めて郁子はそう訴えた。しかし、斎の方は郁子の感情の昂ぶりに巻き込まれなかった。酷く冷静に、焼酎を一口含んで飲み込んだ。
「私の事は、いくらでも罵って構わない。最初から、覚悟していたしね。記憶喪失であることを隠そうって、決めた時に。郁子、聡の気持ちを少しは考えてくれない? 記憶喪失の問題で苦しんでいるのは、聡自身。皆の気持ちは分かっている。でも、私は聡の事を優先する。それが、正しいからよ」
 郁子は、聡の方に視線を滑らせる。聡は、どうしたらいいものかと、困り果てていた。そんな彼の姿は、郁子の感情を少しばかり抑圧した。
「それでも、私は記憶喪失だってこと、最初から話してほしかったよ……」
 郁子は遂に泣き出してしまった。斎は、そんな郁子から視線を逸らしている。彼女だって、郁子の気持ちは理解してはいるが、受け入れてあげる事が出来ない。その気まずさもあっての事なのだろう。
 聡は、そんな二人を交互に見ている。それから、今度は真下にある空になった皿へと視線を移した。その皿には、から揚げとサラダが盛ってあった。今は、ドレッシングと細かな野菜の欠片だけが残っている。ふと、自分たちはこんな有様なのだろう――と聡は思った。
 元々あった関係は、斎の言質が正しいのであれば、聡がこの櫻町を離れた後起こった何かしらの事件のせいで、バラバラに砕けてしまった。聡が記憶喪失である以上、どうやっても元の形に戻すことは不可能である。そう、食べてしまったから揚げとサラダが戻らないように。
「……一度壊れたものは、修復するんじゃなくて、作り直すべきなんだよな」
 聡の小さな独り言。
 斎のやろうとしていることは、元の関係に聡を押し込んで、セロテープで補強しているようなもの。セロテープは、案外すぐに劣化するし、補強するには強度が足りない。結局、郁子のような衝撃を与えると、簡単に聡の存在は元の形から零れ落ちてしまう。そして、聡は知るのだ。確かに、自分は神山聡だ。記憶がなくてもそれは絶対だ。だが、記憶がない以上、記憶があった頃の自分とは、確実に違う。壊れたツボの破片に例えるならば、聡はさらに記憶という箇所が欠落しているため、そのままはめ込んでも、ツボには穴が開いたまま。そこに水を流せば、容易く漏れるし、もしかしたらまたその小さな穴から決壊するかもしれない。
 どんなに考えを巡らせても、上手く行くはずがない――聡は、そういう結論に至った。
「皆に話そう」
「ん?」
 斎が、言葉の意味を把握できずに、聞き返してきた。
「記憶喪失のこと、隠すのはやめよう。やっぱり、無茶だ。俺、馬鹿だからさ、隠してもどうせばれるし、郁子みたいに嫌な気持ちをさせるだけだ」
 斎は、静かに聡を見つめていた。彼女の沈黙は、三分ほど続いた。しかし、聡にとってそれは本当に長い時間だった。それでも待った。今は、斎の言葉を受け取る時だと、覚悟して――。
「私はね、反対よ」
「斎……」
「姉さん!」
 聡は、慌てて郁子を制止する。今郁子に割り込まれたら、話がややこしくなるからだ。
「でも、いい」
 聡は、斎の言葉の意味が理解できずに首を傾げる。
「聡がそう決めたのなら、それでいいって言っているの」
 斎は不機嫌そうに視線を逸らした。聡には、斎が不機嫌になった理由が分からなかった。しかし、斎の許可は下りたのだ。これで話は進められる。
「じゃ、私、久留里に連絡するね!」
「他の連中には私から電話をしておくから。今日はもう帰るわ」
 斎は、五千円札を一枚置いて、足早に去って行った。聡が、『金は持って帰れ!』と言ったが、斎は一度も振り返らないままだった。
「アイツ、なんであんなに怒ってんだ?」
「それは、聡さんには絶対わかんない事だよ」
 郁子は、少しだけ悲しそうな表情をして、そう言った。

 8月14日 昼
 櫻町で一番大きな公園である大木公園に、斎と郁子、そして聡の姿があった。今から、過去聡と仲が良かった人たちが、ここに集まることになっていた。
「聡は、木の裏に待機ね」
 斎に言われて、聡は首を傾げる。
「なんで?」
「心の準備っていうのが、それぞれにあるの。いいから後ろに隠れて、今から集まる連中の復習でもしてなさい。一応、もう一度言っておくからね。今から来るのは、岡島倉斗(くらと)、雨見(あめみ)麗、沢村遙(はるか)、流鏑馬(やぶさめ)久留里(くるり)」
「了解。じゃ、そっちのいいタイミングで呼んでくれ」
 聡は、大木公園の中央にそびえ立つ、守(も)り木の後ろへと姿を消した。斎の機嫌は、非常に悪い。郁子はそれに気づいていたが、敢えて何も言わなかった。斎が抱えている軋轢(あつれき)を、郁子は理解していたからだ。
「誰が最初に来るのかなー」
 守り木が作る日陰の下で、周りを見渡す郁子。斎は、不機嫌さを隠しもせずに、ドカリとベンチに腰かけた。
 それから五分ほど経過して、一組のペアーが守り木の前へとやってきた。郁子は、それを見つけて、大きく手を振る。
「倉斗さーん、麗お姉さまー!」
「おぉ! 郁子ちゃん、久しぶり!!」
 男性の方――岡島倉斗は、元気良く手を振り返している。しかし、女性の方――雨見麗は、ジト目で一瞥するだけ。その後、まっすぐに斎を睨みつけた。
「これは何の悪巧み? くだらない事だったら蹴飛ばす」
「別に。ただの同窓会のようなものよ」
「同窓会? こんな所で? 脳内に飼っているウジが大きくなりすぎているんじゃない?」
「おいおい、いきなり喧嘩腰はいくらなんでもないだろう」
「うっさい!」
「あたっ!」
 麗に蹴飛ばされ、倉斗はピョンピョンと跳ねている。その様を見て、郁子は苦笑していた。
「二人は、相変わらずだねー」
「はぁ……郁子、あなたも元気そうで良かった。大学、どう? 上手くやれてる?」
 一転して、麗は優しい顔をする。
「うん、楽しいよ」
「そう、楽しいのが一番ね。他には誰が来るの? 遙とか久留里も来るの?」
「遙ちゃんは、斎姉さんが呼んだから分かんないけど、久留里は来るよ」
「遙も来るよ」
 斎が補足する。そんな斎の隣に、麗は斎と同じようにドカリと座る。
「で、最近調子はどうなの? ていうか、なんでそんな機嫌悪いの?」
「色々とあってね。ここ最近は、ボチボチ楽しくやっている」
 麗は、目を瞬(しばた)かせた。斎の答えに驚いているのだ。
「へぇー、アンタの口から『楽しい』って出るなんて、何かよっぽどいい事でもあった?」
「半分半分。麗はどうなの? 仕事は順調?」
「それこそボチボチよ。別段、変わったこともないけど、今は楽しみな事があるから」
「楽しみな事?」
「後で教えてあげる」
 そんな風に話をしていると、また一人姿を現す。やはり最初に気付いたのは、郁子だった。
「遙ちゃんだ! お〜い、は〜るちゃーん!」
 郁子の歓迎に、頬を染める女性――沢村遙だ。
「はるちゃん言うな! こっちもいい年なんだから! って、あぁ、自分で言っておきながら、今の言葉が重たい!」
「まだ二十四歳のくせに、何言ってんのよ」
 麗が突っ込む。
「どうも、ご無沙汰しております。あれ? 斎さん、機嫌……」
「今触れると、噛み千切られるよ。なんか知らないけど、すんごい機嫌悪いから、コイツ」
「おっと、くわばらくわばら。あ、岡島さんもお久しぶりです」
「おう、久しぶり。遙ちゃん、雰囲気、大分変ったね。それに美人になり過ぎだろう」
「あ、どうも。でも、麗さんの前でそんなこと言っていいんですか? 刺されますよ、冗談抜きで」
「賛辞ぐらいは、私も許せるだけの器はあるから安心して。触れたら殺すけど」
 倉斗だけ怯えた顔をして、遙と郁子はケラケラと笑っていた。そして、最後の一人である流鏑馬久留里が姿を現したのは、それから十分ほどしての事であった。
「久留里! 遅いよ!」
 郁子の言葉に、久留里は眠たそうな顔で返事をする。
「仕事が終わってそのまま来たんだ。眠い……」
「……えっ? 久留里? うわ、何その恰好。それに髪! 切ったの?!」
 麗が、びっくりしている。久留里は、男物のスーツを身に纏い、髪も男のように短く刈り込んでいた。はたから見ると、線の細い青年のようにしか見えない――そんな姿だった。
「どうも、雨見さん。ご無沙汰しています。郁子、何があるんだ? 坂田さん、顔が怖いし、あんまり近寄りたくないんだけど」
「あははは、斎姉さんの事は気にしないでいいから。今は、触れるな危険人物」
「ふーん。で、何があるの? なんだか、久しぶりの人もいるし。えと、それと……どちら様でしたっけ?」
 久留里の視線は、遙へと向けられていた。
「沢村遙です。えと、流鏑馬久留里さんでしたよね? 随分と雰囲気が変わって、びっくりです」
「あ、あぁー、あ、思い出した。元ヤンキー」
「言わないで! 忘れたいから!」
「ごめん、余計なこと言った」
「別にいいよ。それよりも、これで全員揃ったんじゃないの?」
 それぞれの視線が、自然と斎へと注がれる。いつも事の中心は聡か、その隣にいた斎だったからだ。斎は、大きなため息を吐いた後、ベンチから立ち上がった。
「皆久しぶり。忙しいのに、集まってくれて助かったよ。今日は、私の大切な友達が皆に話があるってことだから呼んだの。その人は、今そこの木の裏にいるんだけど、皆、気をしっかり持って、冷静に彼の言葉を受け止めて欲しい。これは、私からのお願いです」
 斎は、深々と頭を下げた。
 麗は立ち上がり、倉斗の傍へ。郁子は久留里の傍へ。
「もういいよ、聡」
 空気のざわめき。守り木の後ろから、姿を現す聡。その刹那――。
「あ、斎さん! 麗が……!」
「麗!」
 麗が走り出した。それを斎は止めようとしたが間に合わず、麗はベンチを踏み台にして高く飛ぶと、そのまま聡に殴りかかった。
「聡! 防御!!」
「あ、お……おう!!」
 斎の言葉に返事して、麗の上空からの右ストレートを右の手の平で受け止めた。
「なんだ、いきなり!」
「よくもまぁ、のこのこと私たちの前に顔を出せたものね。ブチ殺す!」
 追いついた斎が、麗を後ろから羽交い絞めにする。
「アンタ! 人の話、聞いていた?! 冷静に言葉を受け止めろって、言ったばかりでしょ!」
 さらに遙もやってきて、二人で麗を聡の傍から引きはがした。
「麗さん、落ち着いてください。とにかく、話を聞かない事には……」
「話? そんなもの、コイツを半殺しにした後で聞く! まずは、半殺しにする!!」
 じたばたと暴れる麗。聡は、状況が飲み込めず困惑するばかりである。事態を静観する、郁子と久留里。そして、この状況を収めたのは倉斗だった。
「麗、話を聞こうや」
 後ろからポンと麗の頭に手を置いて、倉斗は穏やかに言った。そんな倉斗をしばらく眺めていた麗は、不服そうでありつつも『分かった』と返した。
「それにしても、驚いたわ。聡さん、久しぶりっす」
「えと、岡島さん……あ、えと……」
 記憶がないため、倉斗の事をどう呼んでいいのか、聡は分からなかった。
「聡、とりあえずベンチに座って。状況は私から説明するから」
 斎に言われるまま、聡はベンチに座った。
「聡は、記憶喪失になっちゃったのよ」
「はぁ?」
 麗は、完全に馬鹿にしたようにそう言った。

 斎は、聡の記憶喪失について説明した。今年の四月三日からの記憶しかないこと。覚えていたのは、名前だけだったこと。そして、どこで出会ったのか、どこまで説明したのか。とつとつと語る。
「所在不明になってから今まで何をやっていたのかは、私にも分からない。正直、私の方が知りたい。でも、聡はその事を覚えていない。私は反対したんだけどね。聡が、皆に会って、その事を伝えたいというから、今日集まってもらったの。ちなみに、焚きつけたのは郁子だから」
「焚きつけたという表現は適切じゃないと思うけどなー」
 不服そうに郁子が反論する。
「記憶喪失……信じがたい話だけど、そんな嘘をつく理由もないし……本当に本当なの?」
 麗の視線は、聡に注がれていた。聡は、小さく頷く。
「あぁ、俺には君たちの記憶がない」
「そう……」
 刹那、麗が聡の左頬を右手で叩いた。パシン! という音が、公園内に響き渡る。聡は、叩かれた頬を抑えながら、困惑した表情で麗を見上げた。麗は、酷く冷たい顔をしていた。
「記憶があったなら半殺しにする所だけど、記憶がないから一発だけにしておいてあげる」
 聡は、状況の説明を求めて、斎を見た。斎は、苦笑していた。
「過去の俺は、そこまで酷い事をしたのか?」
「教えてあげてもいいけど、その後半殺しだからね」
 代わりに麗が答えた。目は、本気だった。
「すんません。知りたくないっす」
 聡は、すっかり小さくなってしまっていた。
「でも、記憶喪失ね。無事で良かったと喜びたい所だけど、記憶がないなら、素直に喜べないか。私は、雨見麗。昔のように麗と呼んでいい」
 麗は、一転してさっぱりした表情でそう言った。
「あ、俺は岡島倉斗っす! 倉斗でいいっすよ! 記憶喪失でも、こうやって会えたならそれで俺は満足っすよ!」
「私は、沢村遙。遙でいいから。無事で良かった」
「ほら、久留里も挨拶しなきゃ!」
「わ、私は……」
 郁子に押されて、久留里が聡の前にやってくる。久留里は、視線を泳がせ、落ち着きがない。
「私は……ごめん!!」
 久留里は、踵を返して走り出した。
「あ、久留里ー!」
 それを郁子が追いかける。聡は、そんな久留里の背中を見送る事しかできなかった。
「なんだかんだで、あの子が一番聡に感情移入していたからね。現実を受け止めるのが難しいか。男の格好しているのも、多分、あれでしょ?」
 麗の問いは、斎へと向けられている。
「多分そう。あれが、久留里が久留里なりに出した答えだと思う。あっちは、郁子に任せるしかないよ。さて、私たちはこれからどうしようか。時間があるなら、飲みにでも行こうか」
 事が済んで、斎も気持ちの整理が済んだのか、表情が少し晴れて来ている。
「あの……」
 遙が、控えめに声をかける。
「その前に、聡さんの記憶喪失って、何か治療とかしているのかなって。将来的には、全部思い出して、元通りとか……そういう展開を期待してもいいのかな」
 遙は、聡と斎を交互に見ている。どちらから答えを聞けばいいのか、分からなかったからだ。斎は、聡へと視線を移す。彼女には、遙の問いに答えられるほど、その件に関しては突っ込んで聞いたことがなかったからだ。
「えと……別に治療という治療はしてないな。過去の俺がよっぽど嫌がっていたのか、病院には出来るだけ近づきたくないと思っているし、病院で治るようなものでもないし。というか、記憶喪失って、病院で治療出来たりするものなのか?」
「逆行催眠……とか?」
 遙は、そんな曖昧な答えを残した。
「そんなに病院に行きたくないなら、無理していく必要はないと俺は思いますよ。どうしても記憶が戻らないと困るってことがあるなら急いだ方がいいとは思うっすけど、そこら辺はどうなんすか?」
 倉斗が続けて尋ねてくる。
「最初の頃は凄い焦りがあった記憶があるが、最近すっかり慣れて来たのか、特別困ったりはしてないな」
「焦りがあった? それは初耳。聡は、記憶を失った直後って、そんなに何かに焦っていたの?」
「そうなんだよなぁ。あまり覚えてはいないが、『どこかに行かないと間に合わなくなる』という感じだったかな」
「聡が櫻町に戻って来たのをごく当たり前に捉えていたけど、実際、聡はこの櫻町に何かをしに来たのかもしれないってことか」
 斎がそんな風に言葉にして考えていると――。
「聡さん、結婚していたみたいだから、嫁さんが蒸発でもしたんじゃないっすかね?」
 聡の左の薬指のプラチナの指輪については、斎を筆頭に誰も触れて来なかった。それぞれに思う事があったのだろうが――倉斗は、空気を読まずあっさりと触れてしまった。結果、麗に思いっきり蹴飛ばされた。
「あぁー、やっぱり俺、結婚していたのかな。嫁が蒸発って、やっぱり俺って超悪人確定か」
 聡は、ケラケラと笑っている。そこには、なんの実感も伴っていない。そんな聡の頭を、斎が軽く小突いた。
「分からない事は考えても仕方ない。それよりも、どっか飲みに行こう。ダラダラと喋ろうよ。折角集まったんだからさ」
「あまり斎に賛同したくはないけど、こればっかりは賛成。いい加減、暑くて熱中症になるわ」
 麗がうんざりした顔で言う。
「郁子たちはどうする?」
「メールを送っておけばいいでしょ」
 聡の問いに、斎はあっさりと答えた。そんなこんなで聡たちは、聡と斎の行きつけの居酒屋へと向かうのであった。

 その頃、郁子と久留里は――。
「待って……!」
 郁子がヘトヘトになりながらも、久留里を追いかけていた。郁子は、体力においては非常に残念な人である。そんな郁子さえ、引き離せない久留里もまた、体力においては非常に残念な人であった。
「久留里ー、心臓止まっちゃうよー」
 そんな郁子の声が、久留里に届いた。久留里は、走るのを止めると、そのまま郁子の元へと戻って来た。
「郁子、大丈夫か? エピネフィリン打つ?」
 医者の娘である久留里。その心配の仕方も、少しおかしい。
「そんなの打ったら、心臓破裂するよー。はぁ……やっと追いついた」
 追いついたというよりかは、久留里が戻って来ただけである。郁子は、逃がさないとばかりに、服の裾を掴んだ。
「ねぇ、どうして逃げるの?」
 郁子の問いに、久留里は目を潤ませた。
「だって、可愛そう。どうして、聡さんが記憶喪失なんだ。彼が一体どんな悪い事をしたというんだ。こんな現実、あんまりだ。どうして、聡さんばかり苦しまないといけないんだよ」
「久留里……」
 郁子は、久留里を優しく抱きしめた。久留里は、元々聡の事を毛嫌いしていた。しかし、ある時から急に聡の事を『かわいそう』というようになった。久留里の幼友達であり、親友である郁子も、その変化の起因を知らない。聞いても、話してはくれなかった。
 今回、記憶喪失という不幸要素が加味した聡。久留里は、そんな聡の現実を、真正面からは受け止めきれなかった。久留里の逃走は、そんな理由だった。
 郁子は、言葉を綴らず久留里が落ち着くのを待った。長年の経験で、久留里が立ち直るのに言葉はさほど効果がない事を、知っているからだ。
 久留里は静かに震えていた。そんな久留里を見るのも久しぶりだな――郁子は、そんな風に思っていた。

 聡たちが居酒屋に辿り着いてから二十分ほどして、郁子が落ち着いた久留里を連れて合流した。聡たちは、すでに居酒屋の一部を占拠して飲み始めていた。
「色々とすんません。ようやく落ち着きました」
 久留里は合流するなり、聡に深々と頭を下げた。
「いやいや、気にすんなって。で、君が流鏑馬久留里だよね?」
「はぁ、聡さんからそんな風に再確認されると……」
 みるみるとまた久留里の顔が暗くなる。そんな久留里の服の裾を引っ張る郁子。
「ファイト! 久留里、ファイト!」
「あまり深く考えなくていいよ。いいから座れよ。飲み物は何にする? 斎、メニュー!」
「初手は、とりあえずビールだね。今日は飲むぞ!」
 郁子は、いつにも増してテンションが高い。
「郁子、そんなに酒は強くないから程々にしろ。聡さんに迷惑をかけたら、聡さんが可愛そうだ」
「それなら大丈夫! 迷惑は、斎姉さんにかけるから!」
「はっ、生ゴミと一緒に捨てられたいなら、私を頼りなさい」
「PTAに、あることないこと噂を吹聴してやるんだからー」
 斎は、学校の先生だ。そんなことされたら、致命傷に等しい。
 斎と郁子が言い争い、麗がはやし立てて、遙と倉斗は聡と会話して、久留里は聡に気を遣いつつ、郁子の面倒を見ている。そんな中、聡は最初こそぎこちなかったものの、途中からはすっかりと慣れて、自然に話せるようになっていた。確かに聡にとって、全員記憶にない人たちである。それでも聡は、このかつての仲間たちの中で確かに懐かしさと、居心地の良さを覚えていた。記憶が戻っては来なくても、それは聡に『過去』を実感させてくれる一瞬一瞬であった。
「実は、今日は重大発表があります!」
 飲み会も終盤に差し掛かろという所で、急に倉斗が立ち上がった。
「重大発表?」
 聡の言葉に、倉斗は深く頷く。
「俺と麗は、十月に結婚することになりました!」
「おぉー!! おめでとう!!」
 聡は、声を大にして心の底から祝福した。麗は、恥ずかしそうに頬を掻いている。そんな麗に、斎や郁子が絡んでいる。
「結婚かぁー。そっか、岡島さんと麗さん、遂にか。ずっと一緒だったから、なんだか今更とも思えちゃうけど……いいなぁー。私も、彼氏欲しいなぁ……」
「なんだ、遙は彼氏いないのか?」
「情けない話だけどね。いい出会いが、全然なかった。聡さんは、どんな人と結婚していたのかな。斎さんと結婚するんだと思っていたから、やっぱりちょっぴりショックだったかな。あっと、今の話はなかったことに!」
「俺と斎って、そんなに仲が良かったのか? もしかして……付き合っていたりとか……?」
 聡が少し照れくさそうに聞くと、遙は小さく首を横に振った。
「私も詳しくは分かんないすけど、二人はいつでも一緒だった。でも、付き合ってはいなかったって、麗さんから聞きました」
「色々とあるの。だから、その事は斎さんに聞いてはいけないから」
 久留里が話に割り込んできて、そう言ってきた。
「そっか。記憶がないというのも、もどかしいものだな。なんだか、皆に悪い事をしているような気がする」
「それはない。皆、聡さんがここにいることを喜んでいる。だから、そんな事は気にしなくていい」
 久留里は、きっぱりとそう言った。聡はそんな久留里の頭を、優しく撫でた。
「ありがとうな」
「人の頭を撫でるのは、記憶がなくてもやるのだな。最早習性ですね」
「おっ、つい自然としてしまったが、体に染み込んでいるものなんだな、こういうのは」
 こうして、久しぶりの再会を果たした、小さな同窓会は過ぎていくのであった。

 今度は、結婚式に全員集まろう――そう約束して、夜中の一時少し前に解散となった。当然、全く昔通りというわけにはいかないが、それぞれそれなりに自分の思いに決着をつけて散って行った。そして、一つの事に終わりが来れば、次の事が始まる。それは、人が生き続けていく限り、失われることのない絶対的な必然である。

 8月15日 21時過ぎ
 二日酔いからもある程度醒め、遙はリビングから庭に降りた。日が暮れたとはいえ、この時期、まだじんわりと暑い。時折吹き抜ける風だけが、涼を感じさせてくれるだけである。
「インビシブル」
 遙は、誰もいない庭でそう呟き、周りをきょろきょろと見渡す。
「インビシブル」
 二度目の呟き。しかし、闇夜に変化はない。
「……こういう時は姿を現さないわけか」
 大きなため息を吐いて、正面を向いたその刹那――。
「記憶喪失の事なら、どうにもしてあげられないぞ」
「うわぁー!!」
 漆黒の髪を背中の半ばほどまで伸ばした女性が、目の前にいた。遙は、驚いて座り込んでしまう。
 インビシブル――それは、この女性のニックネームのようなものだ。名前がないと不便だと伝えた際、『なら、インビシブルでいい』とこの女性が言ったことに起因している。本名は不明。それどころか、遙はこの女性が何者なのか、一切知らない。ただ、分かっている事と言えば、インビシブルは、旅に出てどこにいるか分からない両親の知り合いだ――それだけである。
「相変わらず、悪趣味ね!」
「お前の修業が足りないだけだ」
 遙は、お尻を叩きながら、立ち上がる。
「なんだか、聞きたいことの答えをさらりと言われたような気がするんだけど。もしかして全部見ていた? ちょっと、そこまで来るとストーカーじゃない? キモイわ」
「そこまで私も暇ではない。さっきの答えで満足しているのであれば、私は帰るぞ」
 遙の言葉に、ぴくりとも表情を動かさない。昔からこうなのだ。絵に描いたような、朴念仁である。
「待って。まだ納得していないって。聡さんの記憶喪失、あなたの魔術で治したりはできないの? もしくは、治せそうな知人とかはいないの?」
 インビシブルは、高度な魔術を操る現代の魔法使いだ。遙も魔術を操る事が出来るが、その師匠はこのインビシブルであった。
「私の魔術は、破壊や隠密向けだ。諦めろ」
「なら、ハッカーに頼んでみるか」
 インビシブルと同系統の匂いがする、正体がよく分からない男を遙はひとり知っている。その男は、ネットの海に落ちている情報ならあまねく収集可能――その手腕から、遙はその男を『ハッカー』と呼んでいる。こちらも、名前は不明である。
「彼に無駄な仕事を押し付けるな。神山聡の記憶喪失を、どうにかしてあげたいというお前の気持ちは分かる。分かるが、記憶喪失は明らかに精神科の分野だ。彼が積極的な治療を望んでいるならば、手を貸せばいい。しかし、そうではないのだろう?」
「そうだけど……」
「なら、別の方法を考えろ。記憶がないのであれば、それは物凄く不安な事だ。なにせ、自分の足跡が見えないのだからな。そんな時に、彼自身を正しく認識してあげれば、それが遙と彼の足跡になり、存在を揺るぎないものにしてくれるはずだ。言っていることが、理解できるか?」
「……分かる。そっか、そうだよね。やっぱり、インビシブルは頼りになるな。まるで、お母さんみたい」
「お前みたいな、頭の悪い娘を産んだ覚えはない」
 インビシブルは、そう吐き捨てるように言った後、ふっと目の前から消えた。彼女の言う隠密系統の魔術で姿をくらましたのだろう。
「私は、私に出来る事をするしかないか」
 遙は、空を見上げて、嬉しそうに微笑んだ。

 その頃、若草山の中腹に建っているログハウスでは――。
 夕食の洗い物も終わり、聡は一息ついていた。
 リビング兼作業場には、立麻琴菜の姿があった。彼女は、聡がこの近くで行き倒れていたのを助けてくれた命の恩人であり、このログハウス――聡が居候しているこの家の家主でもある。何かしらの精神疾患なのか、表情が欠落していて、いつも仏頂面である。最初こそ戸惑ったものの、さすがに四ヶ月も見ているので、聡もすっかりその仏頂面を気にしなくなっていた。
「琴菜」
 呼びかけると、『ん?』という返事が返ってきた。彼女が真っ白なキャンバスに向き合って、何か考えるようにしているのは、この四ヶ月の間、良く見かける光景であった。
「昨日、俺の昔の友達にあったんだ」
「そう」
 非常に淡白な答えである。
「それで、俺の友達の一人がさ、結婚するんだ。琴菜、お前も一緒に結婚式に来ないか?」
「私が?」
 そこでようやく琴菜は振り返った。
「おう。俺の友達に紹介しておきたいしな」
「妻として?」
「んなわけあるか! 過程をすっ飛ばし過ぎだろうが! お前、皆に会った時、そういう笑えない冗談は言うなよ」
「面白そうだから行く」
「……いや、やっぱりいいわ。来なくていい」
「今更そんな事を言っても、手遅れよ。連れて行ってくれなかったら、勝手に付いていくだけだから」
「だよな。俺、なんでお前を誘おうと思ったんだろうか……」
 聡は、頭を抱えている。
「まぁ、結婚式の話は、それでいいや。出来れば、すっぱり忘れてくれたら助かるが。もう一つ話が合ってさ、琴菜、海に行かないか?」
「馬鹿なの? さっき誘うことを後悔していたのに、また誘うとか学習能力が皆無? 可愛そう……」
「誰が可愛そうだ! 今度、会社の縁で海に行くことになっていてさ。多分三日ぐらい家を空ける事になるんだよ。社長の娘の友達とかも来るからさ、あれだったらお前も来ないか? っていう話だ」
「海には興味はないけど、三日も自分で家事をしないといけないと考えると、それはそれで憂鬱ね。それに、たまには旅行というのもいいわね。その話、乗ってあげる」
「あいよ、了解。なら、社長にそう言っておくよ。日にちが決まったら、また教えるから準備だけはしとけよ」
「聡は、どんな水着がお好き? スクール水着?」
「俺にそんな話を振るな! 大体、なんだよスクール水着って!」
「知らないの? 学校指定の……」
「いや、誰もスクール水着の定義を説明しろとか言ってねぇよ……」
 聡と琴菜。二人の喧騒がログハウスに響く。

 8月20日
 郁子が、京都へと帰って行った。久留里は仕事があるということで、郁子よりも先に帰っていた。それを見送る聡と斎。
「もう戻って来るなよー!」
 斎は、そんな事を言って見送っていた。
「はぁ、まったくとんでもない日々だったわ。これでやっと一息つけるってものね」
 斎はやれやれと、大きなため息を吐いている。
「色々とあったけど、俺は良かったと思っている。なんだか、最近毎日が輝いているような気がするんだ」
「そう。最初はどうなるかと思ったけど、結果的にはこれで良かったのかな」
「記憶喪失であることを伝えた件か? 斎、凄い機嫌悪かったもんな」
「色々とあるのよ。もうその事には触れないでよ」
「あ、わりぃ。でも、斎が俺のことを心配してくれているんだなってことだけは、伝わっていたぜ」
「そういう恥ずかしい事は、言葉にしなくていいの!」
 斎は、聡の左太ももを蹴飛ばした。痛さの余り、聡は声もなくうずくまった。
「さてと、遙、暇かな。探偵業って、いつが休みなんだろう。まぁいいか。聡、メシ食いに行くよ」
 斎は、いつも以上に明るい表情をしていた。記憶喪失の件を秘密にしていたことで、彼女も重荷を背負っていたのだろう。
「あいよ、了解」
 聡は、電話を掛ける斎に続いて、駅を後にするのであった。


 END

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空白ノ翼第六章 後日談 堕天王の逝く道/BIGLOBEウェブリブログ
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