堕天王の逝く道

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zoom RSS 空白ノ翼第五章『挫かれた未来と歪んだ契約』 第三話

<<   作成日時 : 2010/11/11 09:43   >>

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ちょっとwordさんが言う事を聞いてくれないわ、昨日はカリカリしていたわ、で結局今日になりました。
第五章、最終話であり、第五章の本題です。ここに至るために、第一章〜第四章がありました。この話を持って、夏樹の話は一段落。これ以降は、聡の記憶喪失や今の生活をどう維持していくのか、そんな話から聡の周りで起こっていく事件が主題になります。

聡、記憶喪失になり独り立ちできるまで→周りで色々な事が起こり始める(次はここ)→聡がそれらの問題に挑む

簡単に書くとこんな感じかと。

では、ボチボチと。

第一話 http://47762756.at.webry.info/201011/article_5.html
第二話 http://47762756.at.webry.info/201011/article_6.html

携帯電話を買った日から、少し日が経ち、七月の中旬。七月の下旬から八月の上旬かけて、虹野印刷所の社長の姉が経営する海の家に駆り出されることとなった聡。聡には重労働が待ち受けていることは明らかであったが、夏樹にとっては楽しい旅行だった。友達である由紀子や椿、神華や由紀子の友達である沙夜にも声をかけた夏樹。そんな旅行のために、色々と買い出しへと出かける事となった。しかし、そんな日に不幸なことが起こってしまう。夏樹が、トラックに轢かれてしまったのだ。
暗躍する赤い翼の天使。天使は、夏樹に契約を持ち出すが――。

そんな話です。

第一章〜第三章までの話に関わりがあります。第四章は、そこまで関わりなし。


空白ノ翼とは?
堕天王が描く長編小説です。記憶喪失の青年、神山聡の物語。

各章の概要
第一章 琴菜に助けられた聡は、記憶を失っていた。記憶を取り戻すため、櫻町へと繰り出した聡は、夏樹や由紀子と出会う。

第二章 青き瞳の少女氷女沙夜の物語。特殊で強力な霊媒能力を有する沙夜の能力を封印するため、由紀子と神華が協力する。

第三章 聡が就職先を見つけ、そして幼馴染の斎と邂逅する話。聡の問題が、ある程度解決するまでの話。

第四章 記憶と感情を失った少女、赤咲夕音の話。夕音と同じ顔をしている杜若。彼女の正体を暴く。

各章は、
オリ神-origin-のHP http://www5f.biglobe.ne.jp/~pfive/kuuhaku/kuuhaku.html
→第一章から第三章まで公開中。
ブログ記事は、http://47762756.at.webry.info/theme/6e16817afc.html
第二章から第四章まで公開中です。

第三章までの登場人物、および用語説明は、
キャラ紹介 http://www5f.biglobe.ne.jp/~pfive/tyouhen/cyara1.html
こちらを参考に。第四章追加分は、まだ作ってません。

最後に、登場人物の紹介。
神山聡:本作主人公。記憶喪失であるが、今は記憶がないなりにも生活できている。今回、虹野印刷所の社長から、厳命が下されるのであったが・・・。

虹野夏樹:虹野印刷所の一人娘。陸上部所属で、期待の星。いつも左腕に古ぼけたリストバンドを付けている。今回、事故に巻き込まれる。

小泉由紀子:夏樹の友達。根暗で、ひねくれもの。

橘椿:由紀子の友達。除霊屋と呼ばれる妖と戦う組織に従事している。

氷女沙夜:由紀子が以前、神華と共に能力の封印を手伝った子。今は普通に生活できている。

天野神華:今年の4月から登校し始めた、元ヒキコモリ。謎の天使と会話するシーンが何度が出て来る。

坂田斎:夏樹の担任であり、聡の幼馴染。リストバンドの秘密を明かす。


立麻琴菜:聡を助けた人。表情が変化しない不思議な人。


では、第三話です。



空白ノ翼第五章 『歪んだ契約』


「はぁ? 海ですか?」
 聡(さとし)は耳を疑い、首を傾げた。職場である虹野(こうの)印刷所の社長室には、聡とその前のテーブルに着く社長の美津子、それとその傍に娘の夏樹が立っていた。夏樹は、いつにも増して機嫌が良さそうである。
「お母さんのお姉さんが、夏は海の家をしていてね、それのお手伝いってわけ。いつもお母さんと私だけなんだけど、今年は聡さんも連れて行こうって話になったんだ」
「君は何かしら器用そうだからな。期待しているぞ」
 美津子の瞳が、意味深に輝く。それを見ていると、嫌な思いしか込み上げてこない。
「それって拒否権とかは……」
「面白い事言うなぁ。あるわけねぇだろう、んなもん」
「ですよねー」
 愛想笑いを浮かべて、そう答えるしか聡には道はなかった。

 七月下旬
 夏休みの初日。小泉由紀子(ゆきね)は、学業から一時的に開放されて、現在午前十一時、いまだ夢の中であった。部屋の中に、一人の少女が入ってくる。美しい黒髪を長く伸ばし、首筋の辺りで結ぶ凛とした顔立ちの少女。彼女の名は、橘椿(たちばなつばき)。由紀子にとって、夏樹と肩を並べる親友の一人である。
「やっぱり寝ていましたか。まったく……」
 呆れきった顔で呟く椿。容赦なく、由紀子の布団を引っぺがした。
「うぅ……そうでした、今日は早起きをする日でした」
 目が覚めた由紀子は、ベッドの上で正座して頭を下げた。
「毎回毎回、よく昼近くまで寝ていられますね」
「いつもなら昼過ぎまで寝ているから、これぐらい余裕よ」
「誰が褒めましたか。さぁ、早く準備をしてください。はぁ、これで遅刻確定ですね」
 今日は、夏樹と外で待っている由紀子の知り合いである氷女(こおりめ)沙夜、それと由紀子のクラスメートである天野神華(しのか)の五人で買い物に行く予定となっていた。八月の上旬に、夏樹の親戚が経営している宿に泊まりに行くこととなったためである。
「折角夏樹さんが誘ってくれたというのに、申し訳ないと思わないのですか?」
「私だって、目覚まし時計はかけたよ。誰かが切ったに違いない」
「そんなの由紀子さん以外にいるはずないでしょ」
 椿に追い立てられて、由紀子はバタバタと準備をさせられる。
「アタタタタ! ちょ、髪! 引っ張っている!」
「少しは反省してください」
 ツインテールを結わえる際に、椿に髪を必要以上に引っ張られて、由紀子は苦痛の声を上げていた。
 準備を終えて、家の外に出た時にはどこかげっそりとしている由紀子。椿はそれでも気が治まらないのか、どこか渋い顔をしていた。
「お、おはようございます」
 青い瞳で、髪を三つ編みに結った少女、氷女沙夜がそんな由紀子の顔を見て、戸惑いつつも挨拶をした。沙夜は、中学二年生。由紀子よりも三つ下となる。彼女は、青い瞳と特殊な霊媒体質のため、社会から隔絶されこの櫻町へと追いやられてきた。由紀子と知り合ったのも、その頃である。現在は、橘家の協力によって『鎮めの契り』という数珠を付ける事で能力を抑えてあり、学校にも通えるようになっていた。
「沙夜ちゃん、ごめんねぇー」
「そんなに待ってないから、気にしないでください」
「沙夜さん、由紀子さんを甘やかしてはいけません」
「あ、はい、ごめんなさい」
 椿にびしっと言われて、沙夜は頭をぺこぺこと下げる。
「沙夜ちゃんに怒らなくても」
「なら、あなたがしっかりなさい!」
「ももももも、申し訳ありません!」
 両手で頭を掴みガシガシと揺らされ、由紀子の声は強制的に震わされていた。待ち合わせ場所は、櫻町の唯一の玄関口、櫻駅。由紀子の家から、櫻町の主幹道路まで降りて、道沿いに二十分ほど歩けば着く距離である。
 急ぎ足で、櫻駅へと向かう。しかし、このメンバーで体力があるのは椿だけである。由紀子はともかく、沙夜の体力のなさが尋常ではなく、結局急いでいるのに歩いているのと変わらないような速度で進んでいた。
「私が抱えた方がずっと速いですね」
 と思った椿であったが、さすがに町中で人一人を抱えて走るのは、椿にとっても沙夜にとってもいい評判を得られない。遅々として進まないが、椿はぐっと我慢した。
 橘神社の前を通り、商店街の入り口を超えると、コンビニが見えてきた。その先にある交差点を渡れば、櫻駅である。信号は赤。椿は息も切らしていないが、由紀子と沙夜は呼吸荒く、二人で手すりに掴まっていた。
「由紀子さん、もう少し体力をつけてください」
「そんなことを言っても……椿さんとは、環境が違うというか。ていうか、体を動かすなんて無駄なことはしたくない」
 椿は、呆れた顔でため息を吐いた。
「そんなことを言っていたら、あっという間にメタボですよ」
「うぅ、それはそれで嫌だけど」
 なんとか手すりから離れて、大きな息を吐く由紀子。沙夜の方は、まだ手すりにしがみ付いている。
「ユッキー!」
 交差点の向こう側、櫻駅側に虹野夏樹の姿。元気良く手を振っているのを見て、由紀子は小さく手を振った。
「相変わらず、無駄に元気ね」
「由紀子さんが、無駄に元気がないだけです。夏樹さんを少しは見習ってください」
「私は私、夏樹は夏樹よ」
 全く態度を改める気がない由紀子に、椿は渋い顔で首を横に振っていた。その時、由紀子は大きな風切音を聞いて、何事かと後ろを振り返える。すると大型のトラックが、とんでもないスピードで交差点へと侵入している所であった
「な、危ない」
 びっくりして、少したたらを踏む。その大型トラックが向かっている先。そこには夏樹の姿があることに、椿が先に気付いた。
「夏樹さん!! 避けて!!」
 椿の声。それは、刹那に響いたブレーキの音にかき消された。大型トラックは、路肩に乗り上げ、駅前の花壇に突っ込んで止まった。夏樹の姿は、完全に見えなくなっていた。
「あ……」
 呆然と呟く由紀子。椿の方は、対処が早かった。
「くっ、なんてことを!」
 駆けだす椿。それを見て、由紀子もようやく椿の後を追いかけた。沙夜は、驚いてその場に座り込む。
 道路を渡り切った椿は、すぐさまトラックを迂回した。アスファルトに、夏樹が体を丸めるように倒れている。服はずたぼろになり、吹き飛ばされた時に残された血痕が、長く伸びていた。すでに意識はないようだ。ぴくりとも動かない。
「夏樹!」
 由紀子が切羽詰まった声で呼ぶも、夏樹は反応しない。走り寄ろうとしている由紀子を、椿は片手で制した。
「迂闊に触らないで! 今、救急車を呼びます!」
「夏樹! 夏樹!」
 由紀子は止まらなかった。何度も夏樹の名前を呼び、駆け寄ろうとする。椿は携帯電話を操作しながらであったため、そんな由紀子を押さえる事が難しくなってきていた。
「そこの人とそこの人! この子を抑えていてください!」
 椿は、集まった野次馬から適当に二人の男を指さした。男たちは、文句も言わずに慌てて由紀子を抑えにかかってくれた。
「救急車をお願いします。櫻駅前です。重傷者が一名います。十七歳。血液型は……確かA型……」
 電話の応対をしながら、椿は難しい顔で夏樹の状態を確認し始めた。
 そんな騒ぎから少し離れた所に、状況をまだ把握していない――由紀子たちと合流するために櫻駅を訪れた、天野神華の姿があった。人ゴミが苦手な彼女は、遠くから何事かと様子を伺っていた。そんな彼女の耳にも、『夏樹』という由紀子の声が届き、はっとなった。
「うそっ……事故に巻き込まれたのは夏樹さん?」
 駆け寄ろうとしたその時、神華はすぐ傍に気配があることに気付いて、その気配から少し遠ざかるように下がりながら、その気配の方へと向いた。そこに立っていたのは、白いワンピースを着た線の細い少女。左腕にびっしりと包帯を巻きつけている。虚ろな瞳が、神華に向けられる。神華は悲鳴を上げそうになり、慌てて自分の口を塞いだ。
「アザゼル……!」
 震える声で呼ぶ。
『この姿でも認識できた』
 唇を噛み、神華はアザゼルと呼んだ少女をねめつけた。
「まさか……あれはあなたが起こしたことなの?」
『準備は整った。これから審判を始める』
「夏樹さんを巻き込むなんて! こんな話、聞いていません!」
『お前には必要のない話だ。安心しろ。お前の姉のように、死んではいない』
 神華は、自分の胸ぐらを強く掴んだ。
『余計な事を口にするな。今回の案件に、お前は必要ない。契約を違えた時は、救いはない』
 少女は、騒ぎとは反対方向に歩いて行った。それを見送った神華は、しばらくその場に立っていたが、その後逃げるようにその場を後にした。

 連絡を受け、聡は美津子を連れて搬送された病院へ。混乱しきっている美津子の付き添いで様々な手続きに付き合い、病院に泊まる美津子を残してICUを出た時には、すでに十八時を回っていた。
「すまん、待たせたな」
 少し陰った日が差す廊下に、椿が立っている。その傍の椅子には、頭を抱えた由紀子の姿があった。沙夜の姿がないのは、救急車に乗ったのが由紀子と椿だけだったからである。
「夏樹さんの容態は?」
「いますぐどうこうというわけではないそうだ。ただ、楽観できるほど軽い怪我でもないようだ」
「そうですか。とりあえずは、安心しました」
 ほっと胸を撫で下ろす椿。すぐに視線を由紀子へと向けた。
「由紀子さん、夏樹さんは一命を取り留めたようです」
「私のせいだ……」
 消え入りそうな声で、由紀子は呟いた。
「私が、遅刻なんてしなければ……!」
 頭を抱える力が増し、ますます丸くなる。聡は、そんな由紀子の傍にドカッと座った。そして、由紀子の頭を優しく撫でた。
「由紀子、お前が自分を責めても夏樹の事故はなかったことにはならないんだぜ。由紀子がしなければならないことは、他にある。それが分かるか?」
 由紀子は、頭を左右に小さく振った。
「意識を取り戻した夏樹を、元気づけ、そして早く治るように支えていくことだ。それが俺たちに出来る事。俺たちがしていかなければならない事。泣いてもいい。悔やんでもいい。だが、それに引っ張られるな」
 ぽんと由紀子の頭を叩いて、聡は立ち上がった。二人を見つめていた椿は、優しい顔をしていた。
「さて、もう帰ろう。二人とも、送ってやるからよ」
「由紀子さん、帰りましょう」
 椿に引っ張られて、由紀子も立ち上がった。その顔は確かにまだ暗いが、先程までの悲壮感は大分なくなっていた。
「由紀子、椿さん、頼みがあるんだ」
「頼み、ですか?」
 椿が、不思議そうに答えた。聡は、恥ずかしそうに頭をぼりぼりと掻く。
「着替えを持ってくるように頼まれたんだが、さすがに男の俺が着替えを選んで持ってくるなんて、ハードルが高すぎるだろう。だからさ、頼む! 手伝ってくれ!」
 くすりと椿は笑った。
「夏樹のお母さまが立ち直った時、無事では済みませんね。分かりました。協力いたします」
「助かる。俺もまだ死にたくない」
 聡は、苦笑しながらそう言った。椿の言葉は、まんざら冗談ではないことが、聡にも分かったからだ。
 椿と由紀子を車に乗せ、椿は橘神社の石段の前に、由紀子は坂道の手前で下ろす。
「ここでいいのか?」
「うん。ここでいい」
 由紀子は、顔を下げたまま答える。
「……神山さんが言う事が正しいのは分かっています。でも、私には難しい気がします」
「そっか。けどよ、由紀子は一人じゃないんだ。俺も椿さんもいるだろう? なんでも一人で背負いこもうとする所は、あんまり褒められたことじゃないぜ。皆で乗り切ろう。また、夏樹が昔のように笑えるようにな」
「夏樹が笑う……そう、ですね」
 由紀子は、何か一つの答えを見出したようだった。深々と頭を下げて、彼女も家路へと付いた。
 聡は車を会社に戻し、自転車でログハウスへと帰る。家に帰ると、とても美味しそうな匂いが漂っていた。
「おかえり」
 同居している立麻琴菜が、相変わらずの無表情で出迎える。テーブルの上には、夕食が並べられていた。メニューは、トンカツである。
「ただいま。なんだ、夕食を作ってくれたのか」
 家事全般は、聡がする契約となっている。一日中、ゴロゴロ、ダラダラしているはずの琴菜が、食事を作る事なんてそう滅多にある事ではなかった。
「さすがに私も空気を読むことぐらいできるわ。それで、どうだったの?」
 琴菜には、先に社長の娘が事故に遭い、帰りが遅くなるかもしれないと伝えていた。
「今すぐどうこうというわけではないみたいだ。それでも、軽い怪我じゃないけどな」
「そう。でも、生きているなら大丈夫ね」
 その言葉には、不思議な重さがあることに聡は気付いた。琴菜は相変わらずの無表情で、それ以上は聡にも推し量ることは出来なかった。

 夏樹は順調に回復して、二日目にはICUから一般病棟へと移された。その頃には、意識も回復し、事故による体のこわばりのせいで体を起こすことはできないものの、話は出来るようになっていた。
「よっ、夏樹!」
 聡が、元気よく夏樹に挨拶をすると、夏樹の顔に笑顔が灯った。
「聡さん! お見舞いに来てくれたんだ」
「当たり前だろう。それに、俺だけじゃないぜ」
 聡に続いて、椿が入ってくる。
「お元気そうで、良かったです」
 少し間を置いて、椿が後ろを振り返る。もう一人、由紀子が部屋に入ってこないからだ。
「由紀子さん」
 椿が呼ぶとようやく由紀子が、そろりそろりと顔を下げて入って来た。少しだけ顔を上げて、夏樹を見る。夏樹は、そんな由紀子を笑顔でもてなした。その笑顔は、由紀子にとって救いだった。
「夏樹、私……」
 言葉を飲み込み。いつものくせで、『ごめん』と謝りそうだったのをぐっと抑え込んだのだ。
「協力するから。夏樹が、また走れるようになるように。私、協力するから。だから、一緒に頑張ろう」
 夏樹は、由紀子の口からそんな台詞が出てきたことに、心底驚いていた。由紀子との付き合いは長い。由紀子が言いそうなことぐらい、分かっていたはずだったからだ。
「うん、ユッキーが協力してくれたら百人力だね!」
 夏樹の瞳から涙が零れ落ちる。
「あははは、感動しすぎて涙まで出てきちゃったよ」
 笑って、泣いて、明るい夏樹。事故で失ってしまったかもしれないと、恐れていた人たちの心は、安堵に包まれていた。
 次の日。聡から目を覚ましたことを聞いた聡の幼馴染であり、陸上部の顧問である坂田斎(いつき)が、面会に訪れた。
「ほい、これ皆から」
 斎は、夏樹に色紙を手渡した。それは、陸上部の仲間からの寄せ書きだった。
「うわぁー! なになに、皆で私を泣き殺すつもりなの? にゃははは、昨日から泣きっぱなしだよ」
 寄せ書きを見て涙を零す夏樹を、斎は穏やかな顔で見つめていた。
「大会、残念だったけど、来年もあるし。それまでにしっかりリハビリして、全国大会、取りに行くわよ」
 夏樹は、大きな陸上の大会を目前にしていた。来週の日曜日に開催されるため、現状の夏樹では棄権するしかなかった。
「うん、ちょっと残念だけど、皆励ましてくれているから。負けられないね」
 夏樹の変わらない明るさに、斎もほっとする。夏樹自身、大会に出られなかったことは大きなショックではなかった。彼女の走る理由は、誰よりも速く走る事ではないからだ。夏樹の左腕にはまっている、古ぼけたリストバンド。昔、夏樹がいじめられていた時にもらった、足の速くなるお守りである。このリストバンドをくれた少年にもう一度出会うために――夏樹は、走り続ける道を選び、その結果、誰よりも足が速くなってしまっただけなのだ。
「そのリストバンド、こんな時でも付けているんだ」
「奇跡的に無事だったから、お母さんにはめてもらいました。やっぱりこれがないと、落ち着かないっていうか」
「ちょっと、そのリストバンド見せてくれない?」
「ん? どうぞ。あ、右手がまだあんまり動かないから、そのまま取っていいです」
「ごめんね、ちょっと借りるよー」
 夏樹の左腕から、リストバンドを外す。
「……あっ、やっぱりね。こんな所にあったなんて。灯台下暗しもいい所ね」
 不思議そうにしている夏樹に、斎はリストバンドをはめ直す。
「これ、私が幼馴染にあげたリストバンドなのよ」
「えっ? そうなんですか!」
「イニシャルに『K,S』と縫ってあるでしょ? それ、私がイニシャルを勘違いして縫ってしまってね、今思えば恥ずかしすぎる思い出だわ」
 イニシャルを勘違いして縫った。それを聞いて、夏樹の鼓動は強くはねた。
「……先生の幼馴染って、名前はなんて言うの?」
「神山聡よ。ほら、夏樹の会社で働いているあのでっかい図体のヤクザみたいな奴よ。人が折角プレゼントしたのに、『なくした』の一言で済ませやがったから、ほうきでケツバットしてやったんだけど、そっか、何がなくしたよ。正直に言えばいいのに。ん? 夏樹、どうした? 痛むのか?」
 俯いていた夏樹は、『なんでもないです』と下手な笑顔で答えた。
「えと、これ返した方がいいですか?」
「夏樹が持っておかなくちゃ、それは。それがあったから、夏樹はここにいるんだし。これからも大事にしてあげて。聡は、忘れっぽい所があるから、昔の事はもう覚えていないと思うけど、夏樹が大事にしてくれているなら、その時の聡の気持ちもずっと残り続けると思うし」
 斎は、一つだけ夏樹に嘘を言っている事を知りながら、言葉を綴った。斎は、聡に聞いていた。聡の記憶喪失の事を知っている人がどれだけいるのか。その中に、夏樹の名前はなかった。そう、夏樹は聡が記憶喪失であることを知らないのだ。だから、夏樹が過去の事を聡に問いただしても、聡に答えることなんて出来ない。お互いの気持ちを護るためにも、『聡は覚えていない』と先に伝えておく必要があったのだ。
「じゃ、もらっておきます」
 夏樹の表情を見た時、斎は『おやっ?』と思った。感じてしまったのだ。夏樹が聡を思う心を。それは斎にとっては、少し複雑なものだった。
 斎も帰り、病室に夕日が差し込んできた頃、夏樹はギャッジアップしたベッドでウトウトと居眠りをしていた。そのまどろみの中、夏樹は気配を感じてうっすらと目を開けた。ぼんやりとしている視界に、人影が写る。何も描かれていない無貌の仮面をつけた、小柄な人。背中には、一対の深紅の羽が生えている。ゆったりとした赤を基調にした衣装は、天使が纏うそれに似ているようだった。
「……誰?」
 夏樹は、現実と夢の狭間に居た。曖昧な感情は、恐怖さえもごまかす。
『羽を奪われし者よ。お前は、もう二度と羽ばたくことはできない』
 無機質な声で、男なのか女なのかもよく分からない。
『虹野夏樹さんか。やはり駄目ですね。これだけ神経や靭帯がズタズタだと、最終的なゴールは日常生活で問題なく歩ける程度。これが限界だと思います』
 続いて聞こえてきたのは、確かに男の声だった。
「私は……もう……走れない……?」
 それならそれで構わないか。夏樹は、ぼんやりと思う。すでに目的は達成されている。夏樹にとって、これ以上走る理由はなかった。
『それで許されると思っているのか?』
『夏樹には、頑張ってもらわないと。聡が行く事が出来なかった、全国大会。夏樹なら、聡の思いを全国大会まで導いてくれる』
 斎の声が響いた。続いて、多くの夏樹に期待する声が響き始めた。その発生源は、陸上部の色紙だった。
『お前が走れないとなれば、彼らの失望は大きい。次々に見捨てられ、お前はいずれ一人になる。そして……』
 気付くと、夏樹はどこかのビルの屋上に立っていた。外界を隔てる金網の前。その金網を夏樹は握っていた。
『孤独に耐えられなくなったお前が取る道は一つだけだ』
 見えるはずもない、ビルの真下。それが夏樹には、鮮明に見えた。そこに倒れている、自分の姿と共に――。
「いやぁーーーーーー!!」
 夏樹は頭を抱えた。場所は、病室に戻っていた。
『我ならば、その未来を変える事が出来る。お前に、再び羽を与えてやる事が出来る』
 無貌の仮面を付けた存在は、その右手に一枚の赤い羽根を持っていた。まるで垂らした血で染色したかのような、鮮烈な赤い色だった。
『さぁ、我の名前を呼べ。我が名は、アザゼル。贖罪の天使。さぁ、我の名前を呼べ』
 赤い羽根。無貌の仮面。二度と走れない足。ビルの下の未来の自分。
 夏樹は、ゆっくりと頭を上げた。
 あの赤い羽根があれば、救われる。もう一度走る事が出来る。今までの生活が戻って来る。孤独にならなくて済む。
 脳裏に、由紀子の姿が過った。その瞬間、夏樹の伸ばそうとした右手が躊躇い、少し戻った。そんな夏樹の左胸に、赤い羽根は刺さった。
「あ……」
 呆然と自分の胸に刺さる赤い羽根を見下ろした後、夏樹は胸を押さえて苦しみだした。夏樹を襲う苦しみ。それは心が裂けてしまうような、いくつもの暗い感情の波。そして、理解できないほど多くの情報の波であった。
『それぐらいの救いは残してやろう。さぁ、我の名前を呼べ。その苦しみから解放されたければ、我の名前を呼ぶのだ』
 脂汗を浮かべ、胸を押さえ続ける夏樹。揺れる視界の果て、息苦しく呼吸を重ねながら、その合間に、一言ずつ言葉を載せていく。
「ア……ザ……ゼ……ル……」
『それでいい。契約はなった。汝に、祝福の鐘が鳴ろう』
 体が少しずつ下がっていく感覚で、夏樹は目を覚ました。まだ夕暮れ。しかし、先程と違うのは、あの無貌の仮面を付けた存在の代わりに、母親がベッドの足元に居たことだった。
「あっ、起こしちゃったか。寝ているから、頭を下げてやろうと思ったんだけどさ」
 ベッドの頭部の角度を変えるレバーは、足元にある。夏樹の母親、美津子はそれを操作していた。
「お母さん……なんだろう、私……なんか悪い夢を見ていた気がする」
 判然としない頭。夏樹は己の右手を開いてみたが、そこには何にも残っておらず、ただ自分の爪で圧迫された後だけが残っていた。
「そんなもの気にする必要はないよ。アンタには、私が付いている」
 美津子の力強い笑みが、夏樹の心を温かくする。
「うん」
 夏樹は、モヤモヤとした気持ちを吹き払うかのように笑った。

 ディーゼル車が止まる独特な音が響き、列車はホームに止まる。陽炎揺らぐ熱気の中、青年はホームに降り、『暑い』とだけ零した。切符を改札口に通し駅から出ると、容赦なく夏の太陽が青年に降り注いだ。抜けるような青い空。太陽の光を腕で遮りながら、青年はそんな青い空を見上げる。
「……帰って来た」
 四か月ぶりの故郷。青年――刈谷恭介を待ち受ける、大きな運命の転機。
 物語に違う歯車が噛み合う。


 第五章 END


第六章は、新キャラ刈谷恭介が久しぶりに帰って来た故郷で、色々な人と出会う話。刈谷恭介は、一年前まで櫻高校陸上部に所属していました。ようは、夏樹の先輩であり、聡の後輩でもある人です。名前だけなら、第三章に出てきてます。今までほとんど触れられてこなかった天野神華の話や、謎の多いキャラの一人である水及との接点もある、神山聡と肩を並べる重要キャラの一人。
今までの空白ノ翼を、聡ではなく、刈谷恭介という新たな視点で描く第六章。

タイトルは、『前世の騎士と現世を迷うお姫様』の予定です。

合同誌の作品を手がけなければならない時期に差し掛かっていますので、来年の六月とかになっちゃうかも。のんびりとお待ちくださいませ。

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